誰よりも家族思う清原氏 16年前、東京Dベンチ裏で感じたオーラ

[ 2015年8月14日 16:07 ]

清原和博氏

 「スポニチはん、いてる?」。明らかに怒気をはらんだ声。東京ドームの一塁側ベンチにいた記者はビクッとした。99年。当時巨人の清原和博氏から試合前、突然の「呼び出し」を食らった。ベンチ裏のスイングルームで2人きり。他紙の記者が気配をうかがっているのが分かる。その日のスポニチ紙面に載った、弟・幸治さんについての記事。「これ、間違っとるで。なんでこんな記事書いてんの?」。静かな口調に怒りがにじむ。その迫力に、事情を聴いた上でひたすら平身低頭したのを覚えている。怖かった、というのも正直、あった。それほどすさまじいオーラだった。

 が、今にして思う。なぜ怒ったのか。それは、家族についての記事だったからではないか、と。実は清原氏には、自身の記事については何を書かれても文句のようなたぐいを言われた記憶はない。しかし、家族に関しては、決して大きくはない記事でも言わずにはいられなかったのだろう。

 やんちゃな子供が、そのまま大きくなったような人だった。巨人時代、両耳にダイヤモンドのピアスを付けて練習に現れたことがあった。うれしそうに、ナインに見せびらかしていた。05年4月21日の阪神戦(東京ドーム)。500号本塁打に王手をかけていた清原氏は、7回2死満塁のフルカウントから藤川にフォークで三振に仕留められ、「ケツの穴の小さいやつや。チン○コついとんのかいな」と言い放った。まさに豪快なイメージ。しかしその裏には、誰よりも家族を思う繊細な一面を持っていた。

 昨年9月、亜希夫人と離婚。中1、小4の息子2人の親権は夫人側が持つ。離婚前、清原氏はひんぱんに息子の練習に足を運んでいると聞いた。その2人の才能について「(早実の)清宮君にも負けていない」と言っている。親ばかだと笑うなかれ。これこそが清原氏の家族への愛情表現なのだ。

 85年の夏。清原氏は桑田真澄氏との「KKコンビ」で甲子園を春夏連覇、一世を風靡(ふうび)した。あれから30年。まさに激動の人生を送ってきた。薬物疑惑もあった。週刊誌が報じると聞き、こちらも取材に動いた。「うそだろう?」と思いながら。いつか、清原氏の息子が甲子園に出場する日が来るのか。そして清原氏自身が再び、指導者としてユニホームを着るのか――。盛夏。甲子園で躍動する球児の姿を見ながら、そう思った。(鈴木 勝巳)

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