大阪偕星 悲願の初切符!鬼特訓実った 田端主将が執念Vスクイズ

[ 2015年8月1日 05:30 ]

<大体大浪商・大阪偕星学園>甲子園の切符をつかみ歓喜の輪を作る光田(右から2人目)ら大阪偕星学園ナイン

第97回全国高校野球選手権大阪大会決勝 大阪偕星学園4-3大体大浪商

(7月31日 舞洲)
 第97回全国高校野球選手権大会(8月6日から15日間、甲子園)の大阪大会決勝が31日にあり、大阪偕星学園が大体大浪商を破って春夏通じて初の甲子園出場を決め、49代表が出そろった。1―1の6回1死三塁、4番の田端拓海捕手(3年)が勝ち越しスクイズを決め、その後も加点し、相手反撃をしのいだ。組み合わせ抽選会は3日に行われる。

 初優勝が決まると、両手で顔を覆いながら泣きじゃくった。嗚咽を漏らし、誰よりも涙を流したのは山本セキ監督だった。108キロの巨漢が3度、宙を舞った。マイクに乗せたその第一声も涙で震えていた。

 「苦労して苦労して頑張ってくれた。感謝、感謝で胸がいっぱいです」

 同点の6回1死三塁から田端がスリーバントスクイズを成功させた。一度はファウルゾーンに転がりながら、フェアゾーンに戻ってきた。「入れ!と祈りました」と殊勲の主将。「バント練習は3、4時間と夜遅くまでやってきましたから」と胸を張った。泥くさく挙げた決勝点こそ、猛練習のたまものだった。

 戦国大阪を常識外れの猛練習で制した。冬場は学校のある大阪市生野区から富田林市内の練習場まで走る。片道18キロ。もちろん、1日36キロの走り込みだけで終わらない。強化合宿中には1日12時間以上、日付をまたいで練習することもあった。「京大や東大を目指す受験生が深夜まで勉強するのと一緒。一流の子は大阪桐蔭や履正社に行く。その次のレベルは県外へ行く。その次のレベルがうちに来る。練習しかない」と指揮官。大阪No.1を自負する猛特訓。主将の田端でさえ3度脱走経験がある過酷さだ。

 2011年1月に監督就任。当時は「まるでスクールウォーズ」と、ラグビーを通じて不良生徒が更生する人気ドラマを引き合いに出した。「どんなにやんちゃな子供も不良少年もみんな自分の子供。教え子は全員家族」。学校近くの寮で部員と寝食をともにする。早朝からご飯を炊き、唐揚げやホルモン鍋、チゲ(韓国鍋)を作っては食べさせた。寮の食堂で布団を敷いて寝たこともある。週に18時間は英語の授業を受け持つが、一日の大半を部員に費やす。

 プロ注目の姫野は1年秋に天理から編入し「山本監督だけは僕を見捨てなかった」と感謝した。『人は皆、星になって輝ける』―。学園の理念を体現した初優勝。田端は「大阪の思いを背負っている。全力で勝ちにいく」と力を込めた。田端の兄・良基さんは大阪桐蔭で12年に春夏連覇を達成したメンバーだった。準々決勝でその大阪桐蔭を破った実力は本物だ。熱血指揮官に束ねられた部員が胸を張って聖地へ乗り込む。(吉仲 博幸)

 ▼大阪偕星学園 1929年(昭4)、此花商業学校として大阪市東淀川区に設立。49年に現所在地の大阪市生野区へ移転。73年に此花学院への改称を経て2013年4月から現校名に。梶本秀二校長。主な卒業生に坂田利夫(お笑い芸人)、河内家菊水丸(河内音頭家元)、寺内健(飛び込み競技)。野球部創部は1931年で、現在の部員は76人(女子マネジャー2人を含む)。富田林市に専用グラウンドを持つ。

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