【高校野球100年】ファンが選ぶ甲子園名勝負1位は松坂の250球

[ 2015年7月31日 05:30 ]

延長17回でPL学園を振り切った松坂(右から2人目)はクタクタの表情

 高校野球、夏の選手権の第1回大会から今年で100年。さまざまな球児たちが数多くの名勝負を演じてきた。スポニチの公式サイト「スポニチアネックス」で募集した「私が選ぶ甲子園名勝負!」で1位となったのは98年夏の準々決勝、横浜―PL学園の一戦。横浜・松坂大輔投手が延長17回、250球を投げ抜き3時間37分に及んだ熱戦に決着をつける決勝2ランを放った常盤良太内野手に、当時の思いを聞いた。(敬称略)

 午前8時30分に始まった試合は、すでに3時間を経過していた。延長11回に横浜が勝ち越せば、直後にPL学園が追いつく。16回も1点ずつを取り合った。横浜・松坂とPL学園・上重の投げ合いは続いていた。

 回ってくるはずのない打席でドラマは生まれた。延長17回2死から柴が遊ゴロ敵失で出塁。常盤が打席に入った。初球の直球を捉えた打球は右翼席に消えた。「16回の裏にベンチに戻った時、奥にいる松坂がグッタリしているように見えました。だから“絶対勝とう。打ってくるからな”と声を掛けました」。エースが思わず涙ぐんだ一発。常盤は右拳を握りながらベースを回った。

 横浜は同年センバツで優勝。だが、常盤は1打席のみの出場に終わっていた。「悔しさから、誰よりもバットを振った。“これだけ振って打てなきゃ仕方ない”ところまで追い込みたかった。PL戦の一本は努力が必ず実るということを体験できた。今も大切な一本です」。中学時代に日本代表だった男は努力でレギュラーをつかんだ。17回の裏、守備に就く前に松坂から「ありがとう」と声を掛けられた。

 あの夏から17年。常盤は「今でも両校の選手が年に1回集まって、思い出話に花を咲かせています。ファンの方の記憶だけでなく、僕たちグラウンドに立った選手も、心に刻まれている一戦です」。3時間37分の死闘を制した横浜は、その勢いのまま甲子園春夏連覇を達成した。(川島 毅洋)

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