PL学園・土井 難病と戦い最後の夏、代打で初出場し全力疾走

[ 2015年7月21日 06:14 ]

<PL学園・みどり清朋>代打で登場したPL学園の土井

第97回全国高校野球選手権大阪大会3回戦 PL学園8―0みどり清朋

(7月20日 南港中央)
 第97回全国高校野球選手権大会(8月6日から15日間、甲子園)の地方大会は20日、44大会で267試合が行われた。大阪大会では、6年ぶりの出場を狙うPL学園が7回コールドで快勝。「急性リンパ性白血病」と闘う土井塁人外野手(2年)が代打で今夏初出場を果たした。

 澄みきった青空の下、「最後の夏」が幕を開けた。部の存続問題に揺れるPL学園の2戦目。背番号17がバットを握ってグラウンドに飛び出すと、一塁側スタンドは温かい拍手に包まれた。5点リードの4回。2年生の土井は難波の代打で左打席に立った。カウント3―1からカーブを強振。今夏初出場は一ゴロに倒れたが、一塁ベースを全力疾走で駆け抜けた。

 「今、当たり前のようにプレーしていますが、自分一人ではここに立つことはできませんでした。支えてくれた仲間、両親に感謝したいです」

 言葉に実感がこもった。2013年9月末から発熱が続き、同年10月15日に血液検査を受けると、急性リンパ性白血病と診断された。小学校1年生から続けていた素振りが初めて途切れた日だった。入院生活では両足がみるみるやせ細り、筋力も落ちた。「私の肩を持たないと、歩けなかった。本当にここまでよく頑張ってきた」。この日観戦した父・崇正さん(45)は声を詰まらせた。

 仲間の存在が支えだった。土井は現在の3年生とともに13年に入学も、いっしょに2年生になれなかった。毎日のように仲間や先輩が病室に来てくれた。『絶対に甲子園へ行こう』―。部員一人ひとりが記したメッセジー入りの色紙に勇気をもらった。当初は1年ほどの入院が必要とされたが、14年2月末に退院。昨秋は記録員としてベンチ入りし、今春は公式戦に初出場も果たした。今も2週に一度の抗がん剤治療が必要だが、今夏は病院の協力で治療を一時中断しながら白球を追っている。

 長期入院のために1年留年しており、本来なら3年生の学年。高野連の規定で公式戦出場は今夏が最後になる。部の存続問題など苦境に立つ名門にあって、土井の存在は部員の大きな励みだ。謝名堂主将は「苦しい時も一緒に乗り越えてきた。最高の夏にしたい」と言った。2年生部員は土井を含めて12人だが、今秋以降は11人で戦うことになる。「甲子園に出て全国制覇したい」と土井。最後の夏を簡単に終わらせるわけにはいかない。 (吉仲 博幸)

 ◆土井 塁人(どい・るいと)1997年(平9)5月29日生まれ、福岡県北九州市出身。桃山台小1年から「南千里ジャガーズ」で野球を始める。南千里中では「摂津シニア」に所属し、遊撃手。PL学園では昨秋から記録員でベンチ入りし、今春は背番号19でベンチ入りし、公式戦初出場。今夏は背番号17。1メートル74、65キロ。右投げ左打ち。

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2015年7月21日のニュース