巨人・鈴木独占手記 これで引退して「球宴出場」と胸を張れる

[ 2015年7月18日 09:30 ]

<全セ・全パ>5回、中村の代走・鈴木は抜群のスタートで二盗を決める

マツダオールスターゲーム2015第1戦 セ・リーグ8-6パ・リーグ

(7月17日 東京D)
 自分が出たときに観客が沸いてくれて感極まりました。この日の大歓声は一生忘れません。普段通りに盗塁を決めて生還するという自分の仕事ができました。キクマル(菊池と丸)コンビら若い選手と話せてアットホームで楽しかったです。

 球宴は「一流の一流」が集まる舞台。正直、自分には縁のない場所だと思ってました。例年は後半戦に向けたリフレッシュ期間。今年も家族で温泉に行こうか、と話していました。選んでいただいた原監督には感謝の気持ちでいっぱいです。監督からは「いつかは出してあげたいと思っていたし、今年は良いチャンス。堂々とやってくれ」と言葉をかけられました。「スタメンでどうだ?」とも言われましたが、「すみません、体力がないので」とお断りしました(笑い)。一番良い場面で起用していただき、監督の男気を感じました。

 原監督との出会いがなければ今の自分はありません。02年の西武との日本シリーズ。シーズン中に盗塁8回中、4回も失敗した僕をベンチ入りさせてくれました。そして「お前の足を信じているから」と励まされました。この言葉で僕の野球人生が変わりました。第4戦では代走で出て盗塁を決め決勝のホームを踏みました。信頼して起用されたことを意気に感じたし結果で恩返ししたいと思いました。

 今年の球宴は鈴木家にとって「夏フェス」みたいな一大イベントになりました。両親は地元の福島県相馬市で精肉店と焼き肉店を営んでますが、30年以上、ほぼ無休で働いてます。11年の東日本大震災後もすぐに再開しました。そんな両親が店を休み、姉、弟夫婦とともに東京ドームに駆けつけてくれました。プロ初出場の時以来かな。成長した姿を見せて、恩返しできました。「福島出身」のプロ野球選手として、地元の子供たちが夢を抱き、前に進むきっかけになればうれしいです。

 走塁手袋は球宴用の蛍光黄色はポケットにしまい、シーズン中と同じ蛍光オレンジ色を着けました。1年間、戦い続けるパートナーであり、僕の象徴。球宴だけ一緒に戦わないわけにはいかないですから。手袋も喜んでると思う。(高橋)由伸さんにも「球宴は一度は経験した方がいいよ」と言われてました。これで引退して講演するときに、経歴で「球宴出場」と胸を張れます(笑い)。

 レギュラーではなくても、こういう舞台に立てる。そういう人たちの希望になれれば幸いです。日々を大切にして積み重ねていけば、必ず光が当たるときが来ることを示せたと思います。 (読売巨人軍外野手)

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