星飛雄馬のモデルだった 高橋一三さん急死 王さん「左投手の原型」

[ 2015年7月16日 05:30 ]

巨人のV9時代を左のエースとして支えた高橋さん

 巨人の9年連続日本一を左腕エースとして支えた高橋一三(たかはし・かずみ)氏が14日午後4時59分、多臓器不全のため、都内の病院で死去していたことが15日、分かった。69歳だった。葬儀は遺族の意向により密葬で執り行われる。高橋氏は65年からスタートした巨人のV9時代に、2度の沢村賞を受賞。真上から投げ下ろす威力満点の直球とカーブ、スクリューボールを武器に投手陣の柱として活躍した。09年からは山梨学院大の野球部監督として選手育成に力を尽くした。

 栄光に包まれたV9時代にあって、大きな光を放った投手だった。高橋氏は以前から心臓に持病があり、ペースメーカーを入れて生活。さらに腹部に水がたまる症状にも苦しんでいた。元巨人投手で、義兄に当たる倉田誠氏は「今月6日にも食事をする予定だったが、急に悪くなって入院した」と話した。そして14日、都内の病院で惜しまれながら亡くなった。

 右の堀内恒夫に対し、高橋氏は「左のエース」と呼ばれた。1学年下の盟友・堀内氏は「ユニホームを着ている頃から、心臓に不安があったことは知っていたが、あまりに早過ぎる。良きライバルとしてしのぎを削った。V9戦士が鬼籍に入っていくのは本当に寂しい」。ONとして共に時代を築いたソフトバンク・王貞治球団会長も「V9を支えた左のエース。いつまでも球界の歴史に名をとどめることでしょう」と故人の死を悼んだ。

 衣紋掛けのような肩幅に長い腕。150キロ超といわれた直球に、大きなカーブを駆使した。加えて「真っすぐとカーブが主流であった時代、(右打者の)外に落ちるスクリューボールを武器に活躍した。今の左投手の原型をつくった投手」と王会長。ダイナミックなフォームはアニメ「巨人の星」の主人公・星飛雄馬のモデルになったほどだ。

 V9が始まった65年に巨人入団。69年には22勝5敗で最多勝、最高勝率のタイトルに輝き、沢村賞を受賞した。V9を達成した73年にも23勝を挙げ2度目の沢村賞。加えて公式戦5度、日本シリーズで4度の「胴上げ投手」ともなった。特に「勝った方が優勝」だった73年10月22日の阪神とのシーズン最終戦(甲子園)で完封勝利を挙げたのは、今でも語り草だ。

 口癖は「チームの勝利に貢献できれば、それでいい」。私生活では女優である橘和子さんと結婚。周囲を驚かせたが、輝かしい実績を誇りながらも実直な人柄で慕われた。昭和を代表する選手がまた一人、この世を去った。

 ◆高橋 一三(たかはし・かずみ)1946年(昭21)6月9日、広島県生まれ。北川工(現府中東)から65年に巨人入団。69、73年の沢村賞など数々の賞を受賞。76年に張本勲との交換トレードで日本ハムに移籍し、83年に引退した。通算成績は595試合で167勝132敗12セーブ、防御率3・18。ベストナイン2度、オールスター出場6度。引退後は巨人、日本ハムで投手コーチ、2軍監督などを歴任した。

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