もう一度、お立ち台が見たい…ヤク館山 夫人の言葉に感謝の1勝

[ 2015年7月12日 05:35 ]

<ヤ・D>1019日ぶり勝利の館山はナインを出迎える

セ・リーグ ヤクルト5-1DeNA

(7月11日 神宮)
 かつての最多勝右腕が不死鳥のように復活した。ヤクルトの館山昌平投手(34)は11日、DeNA戦に先発し、スタンドで家族が見守る前で6回を1安打1失点と好投。3度の右肘じん帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)を乗り越え、復帰2戦目で1019日ぶりの勝利を手にした。チームも2連勝で、阪神に並ぶ2位に浮上。館山の復活勝利はチームに勇気を与え、首位・巨人追い上げへの大きな原動力となる。

 館山は、愛娘の海音(かのん)ちゃん(7)をクラブハウスでの会見に同席させた。1019日ぶりの復活勝利。「お父さんはこうやって話を聞かれるんだよ」。やっと見せることができた。

 「ヒーローインタビューが見たい」――。昨年4月。3度目のトミー・ジョン手術の診断が下る前日に温泉旅行に行った時の陽子夫人の言葉を覚えていた。お立ち台。一塁側スタンド最前列の夫人を真っすぐ見据え「遅くなりました。すみません。僕以上に長かったのではないか。何とか復活することができました。陽子、海音、ありがとう」と感謝を述べた。

 6回まで投げ、初回に筒香に浴びた右前適時打の1安打だけに抑えた。6月28日の巨人戦(神宮)で814日ぶりに1軍マウンドに立ったが、それがゴールではない。「イベントは前回で終わり。勝負に徹した」と腕を振ることだけを信じた。

 「四球はいくら出してもいい。今は腕を強く振れるようになった」と高津投手コーチの言葉も背中を押した。4回、2四球で2死一、二塁。マウンドに集まる内野陣に、打たせるコース、球種を明かし、遊ゴロに仕留めた。「全ての球を使って操れた。こっち(1軍)で勝負できる雰囲気は見せられたかな」。最速は147キロ。変化球の精度も前回とは別人だった。

 復帰登板の翌29日。登板間隔を空けるために一度出場選手登録を抹消された館山は、右腕を再生してくれた群馬県館林市内の慶友病院に出向き、医師に深々と頭を下げた。「戻って来られましたという報告をした。元気になるまでいろんな方に迷惑をかけた」。30日には戸田の2軍施設にも足を運んだ。数え切れないお祝いメッセージももらった。長いリハビリの日々も、待っていてくれた人がいると痛感した。

 自宅に飾られている家族写真の横に、特別な空間ができる。「あまり飾ったことはないけど、このボールは飾っていいかなと」。3度のトミー・ジョン手術を乗り越えて第一線の舞台に戻って来た投手は、米国を見渡しても、ほとんどいない。血行障害なども含めた計7度の手術で体には151針の痕が残る。その一つ一つに覚悟が詰まっている。復活勝利に合わせたかのように、この日、最短9年で達する海外フリーエージェント(FA)の資格取得条件を、13年かかって満たした。

 「これからは対打者の距離感の中で自分を出して戦えると思う。投げる試合は全部(お立ち台に)乗るつもりで」

 1センチの可動域を広げることに苦痛で顔をゆがめたかつての最多勝右腕は、1軍のマウンドに立つことが日常になった。(倉橋 憲史)

 ▽館山の前回勝利 12年9月25日の阪神戦(神宮)。5回まで1安打1四球で抜群の立ち上がりを見せるなど、8回を3安打無失点。3点リードの9回はバーネットが抑えて、館山は12勝目を挙げた。9月は負けなしの4勝目となり、この年、2度目の月間MVPを獲得した。

 ≪過去のヤクルト主力投手の復活劇≫

 ☆伊東昭光 右肩腱板損傷で90年に離脱し翌年を棒に振ったが、メスを入れずにトレーニングとリハビリで克服。92年に復活し、5月16日の阪神戦では1029日ぶりの白星となる完封勝利。

 ☆荒木大輔 88年の8月と11月に2度の右肘手術。リハビリ中もヘルニア、父の死と苦難が続いたが、92年10月3日の中日戦で1611日ぶり白星を挙げ復活した。

 ☆伊藤智仁 新人の93年に7勝で新人王も7月に右肘炎症で離脱すると、翌年には右肩痛で内視鏡手術。96年6月11日の中日戦で1073日ぶりの白星を挙げ涙の復活を果たした。

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