帝京の92年センバツVは「ランチ」がたぐり寄せた?

[ 2015年7月7日 10:10 ]

帝京の前田監督

 夏の甲子園出場に向けた地方大会が続々とスタートした。スポニチでは高校野球100年を記念した連載を随時掲載しているが、その取材で「名将」に話を聞くことが多い。中でも「そういえばこんなこともあった」という述懐が面白い。ラッキーゾーン撤廃後、初の甲子園となった92年センバツを制した帝京。実は「ランチ」がたぐり寄せた優勝だったという。前田三夫監督が裏話を明かしてくれた。

 決勝・東海大相模戦では9回2死から右翼・宮崎のバックホームが決まる劇的な幕切れで、3―2の接戦を制した。球場入り前、宿舎でナインと昼食をとっていた前田監督は妙な物音に気づいた。「なんかガチャガチャと音がして、うるさいなあって思った」。ナインを見ると、緊張から容器を持つ手が震えて音が鳴っていたことに気付いた。

 「あーこれは緊張しているなと。勝ち進んでいたとはいえ高校生だから。3回くらいまでオレが試合を作るつもりでやらないとダメだ、と思ったんだ」。プレーボールから盛んに声をかけて選手を鼓舞した。すると2回に1点を先制。「3回くらいまでいけばだいたい落ち着く。だから4回以降は選手に試合を任せて、じっと試合を見ていたんだ」。そして、その4回には2点を加点した。

 優勝を決めた宮崎のバックホームの回想も実に興味深かった。場面は9回2死二塁。二塁走者が還れば同点だ。「右翼へ打球が行った時、二塁ランナーを見て“回ってくれ”って思ったんだ。宮崎は肩が強いから、回ってくれさえすれば絶対に刺せる確信があった。打者は3番。二塁走者が止まったら、次は4番打者だから打たれてしまうなと。そしたらランナーがまわった。その時点で“ヨッシャー”だったよね」。4日連続登板、全5戦を1人で投げ抜いたエース三沢が脚光を浴びる舞台裏で、そんなドラマがあったのだ。

 まるで昨日のことのように話す記憶力には驚いた。「一緒に昼を食べてて良かったよね。そうじゃなかったら試合運びも変わってた」。甲子園春夏通算51勝の名将も当時は43歳。92年の記事でご自分の写真を見るなり「お腹が出てるなあ!」と大笑いした姿に、こちらが笑ってしまった。今は筋トレを欠かさず、実にスリムな66歳。「だいぶノックも飛ばなくなったけどねえ。でももう少し頑張るよ!」。すこししゃがれた、ハリのある声がグラウンドに響いた。

 ◆松井 いつき(まつい・いつき)1982年(昭57)10月24日、東京都生まれの32歳。学習院大卒。05年スポニチ入社。一般スポーツ、アマ野球担当、日本ハム担当、静岡支局、西武担当を経て14年から再びアマ野球担当。

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