シーズン中のトレードがきっかけ!移籍でチャンスをつかんだ選手たち

[ 2015年7月4日 11:00 ]

1992年6月23日の阪神―巨人戦で2ランホームランを放つバンザイする巨人の大久保博元

 巨人・矢野謙次と須永英輝、日本ハム・矢貫俊之、北篤による2対2の交換トレードが行われた。矢野はレギュラーではないものの、勝負強いバッティングと応援歌も人気があり、多くの巨人ファンから支持を受けている。日本ハムに移籍した直後の3連戦のうち、2試合でヒーローインタビューを受ける活躍には、トレードとなって落胆したファンも安堵したことだろう。

 このように、シーズン中のトレードをきっかけにチャンスを掴んだ選手は過去にも多く存在している。中でも、有名な事例を紹介したい。

◎大久保博元(西武→巨人)

 現在、楽天の大久保博元監督は、高校時代(水戸商)から強打の捕手として鳴らしていた。1984年のドラフト1位で西武に入団。しかし、打力は秀でていても守備力に課題があったこともあり、また、伊東勤(現ロッテ監督)が正捕手として君臨していた時代で、レギュラーを奪うには厚い厚い壁だった。

 大久保自身も1軍と2軍を行き来する日々で、1軍での出場は主に代打しかなかった。そこで、大久保に転機が訪れた。1992年の5月、中尾孝義との交換トレードで巨人への移籍が言い渡された。移籍後、すぐに試合に使われると、自慢の長打力でチームを勝利へと導く。移籍した翌月の6月に月間MVPを獲得するほどの活躍で、下位に低迷していた巨人を大久保の加入で一気に盛り返した。「大久保が打てば負けない」という「デーブ神話」があったほどだ。前半戦終了後には、その活躍が球団から評価され異例とも言える報奨金が送られた。後半戦は前半戦よりも調子を落としたが、自己最多の84試合に出場し打率.277、15本塁打とキャリアハイの結果を残した。

◎藤田一也(DeNA→楽天)

 その大久保監督の下で現在プレーしている楽天・藤田一也もトレードが大きなターニングポイントとなった。近畿大から2004年ドラフト4巡目で横浜に入団。当時の二遊間には、石井琢朗、種田仁、内川聖一、移籍してきた仁志敏久、若手有望株だった石川雄洋らがおり、開幕当初に出番は少なく、シーズン途中から藤田の出番が増え、安定した守備と及第点の打率を残すことが多かった。しかし、どんなに試合出場を増やしても、3割を超える打率を残しても、翌年の開幕には新外国人や若手にチャンスが与えられてしまっていた。

 2012年6月、藤田は内村賢介との交換トレードで楽天に移籍。移籍当初は守備固めが中心だったが、9月に二塁手を務めていた銀次が三塁手に回り、藤田が二塁手に定着する。2013年の開幕戦に「2番・二塁手」で出場すると、レギュラーを獲得。守ってはファインプレーを連発してチームのピンチを救い、打ってはプロ入り初の規定打席到達と、楽天初の日本一に大きく貢献した。チームが強かったことも相まって、この頃から「藤田の守備はスゴい」とメディアで語られることが急激に増える。その証左であるかのように、2013年からは2年連続でベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。パ・リーグを代表する二塁手となった。

◎今成亮太(日本ハム→阪神)

 浦和学院時代は好守巧打の捕手として甲子園に2度出場。2005年の高校生ドラフトにて、日本ハムから4巡目で指名を受けて、入団する。プロ3年目の2008年に初めて1軍出場を果たした。しかし、正捕手を務める鶴岡慎也(現ソフトバンク)、大野奨太の中に割って入ることができず、2011年には自己最多の22試合に出場したものの、代打での出場がメインだった。

 2012年4月、若竹竜士とのトレードで阪神に移籍。正捕手不在、若手不在というチーム状況もあって60試合に出場と、大きく出場機会を増やす。さらに2013年は、打力を生かすために外野手として起用されることが増え、一時はクリーンアップを任されるまでに成長。そして、三塁手にコンバートされた2014年、プロ入り初めてシーズン100試合以上の出場を果たした。

 今シーズンはキャンプ時に右脇腹を痛めて(右肋軟骨損傷)、出遅れたが、5月29日に1軍に再昇格するとスタメンとして出場している。高いミート力だけではなく、守備でも意外なセンスを見せる。球際に強い守備にも注目してほしい。

 移籍直後に活躍した矢野に負けじと須永、矢貫、北の3選手も新天地での活躍も期待したい。そして、トレード期限の7月末まで1カ月を切った。負傷者続出の楽天や、後半戦に向けて戦力を整えたい上位球団に動きはあるのか、注目していきたい。(『週刊野球太郎』編集部)

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2015年7月4日のニュース