【高校野球100年】74年夏 金属バット1号は三国・大神さん「よく飛んだ」

[ 2015年6月30日 11:00 ]

74年夏、甲子園で金属バット1号を放ち生還する大神さん

 金属バットが初めて導入された74年夏。大会初日の第2試合で「金属バット1号」が飛び出した。三国(福井)の5番打者・大神正男さん(58)は「ちょっと詰まったかなと思ったけど、よく飛んだ」と回想する。

 6回まで上尾(埼玉)の下手投げ右腕・松久の前に無安打に封じられていた。漁師の町から大応援団が駆けつけたアルプススタンドで大漁旗が揺れる中、7回に直球を右翼ラッキーゾーンへ運んだ。「高校最後の打席になるかもしれないと思って、思い切り振った」。試合は1―5で敗れたが、記念のホームランボールは今でも自宅で保管している。

 初めて金属バットを握ったのは3年春。当時で1万円以上する高級品で、イーストン社製だったことを覚えている。「木のバットの方が慣れていたんですけど、監督から“おまえはよくバットを折るんだから金属を使え”と言われて…」と振り返る。チーム内では木と金属の使用は「半々くらい」だったという。使い始めは違和感があったが、芯を外れても打球は内野の頭を越え、安打が増える喜びがあった。「やっと慣れてきた頃に高校野球が終わった。でも、金属バット1号は歴史に残るので良かった」。快音を響かせた記憶は、いつまでも残っている。(川島 毅洋)

 ≪11本塁打中8本が金属バット≫金属バットが導入された74年夏。この大会は11本のうち8本塁打が金属バットから放たれたもので、金属バット第1号は三国(福井)の大神正雄が1回戦・上尾(埼玉)戦で記録した大会通算257本目だった。大会最多は06年の60本で、昨夏までの大会通算本塁打は1460本。木製バット時代は1大会平均4・7本だった本塁打は、金属バットになって1大会平均29・3本と飛躍的に増えているが、今年の大会はどうか。

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