村田、攻めた69球 メジャー初戦黒星も40人枠入りで再昇格に望み

[ 2015年6月30日 05:30 ]

<オリオールズ・インディアンス>オリオールズとのダブルヘッダー第2試合に先発しメジャーデビューを果たしたインディアンスの村田

ア・リーグ インディアンス0-8オリオールズ

(6月28日 ボルティモア)
 10年に巨人を戦力外となり、海を渡ったインディアンスの村田透投手(30)が28日(日本時間29日)、米球界挑戦5年目で念願のメジャーデビューを果たした。オリオールズとのダブルヘッダー第2試合に先発し、3回1/3で2本塁打を含む4安打5失点(自責3)で敗戦投手。今回は特別規定での「スポット昇格」だったが、首脳陣は一定の評価を下しメジャー出場の前提となる40人枠入りしたことで、今後の再昇格にも望みをつないだ。
【試合結果】

 1Aからはい上がり、5年目でたどり着いたマウンド。「正直、初球を投げる前は感極まるものがあった」。でも、村田は高ぶる気持ちを抑えるように右手で胸を2度叩いた。背中を押したのは「楽しむこと」「ストライクを取ってなんぼ」という2つの米国野球の掟(おきて)だった。

 微妙に変化する140キロ前後の速球とスプリットを軸に果敢に攻めた。初回は10球で3者凡退、2回もわずか7球で2死を奪った。しかし、二塁手の失策から連打を浴びて2失点。4回はメジャーのパワーを肌で感じた。13年53本塁打のデービスには直球を、スナイダーにはカーブを、いずれも2球続けて被弾した。「(カーブ2球も)マイナーだったらいけるところもあったし、トップレベルとの差ですかね」。次打者を四球で出したところで降板したが、一方で「思った以上にできた」と手応えも口にした。

 試合後、テリー・フランコナ監督から記念のメンバー表を直接手渡された。その指揮官は「不運もあったし、2巡目は球が高くてやられたが、マウンドでの姿がよかった。聞いていた通りの投手」と評価。今回はダブルヘッダー限定でベンチ入り枠を1人増員できる規定による昇格だったが、40人枠入りしたことで今後も常に昇格できるチャンスがある。

 1年目の1A時代は治安も悪い地方の町でアパート暮らし。食事もままならず、ビールで空腹を満たしたこともある。通訳はおらず、ケガをした時は電子辞書を手に医師に症状を説明。この日も通訳なしで米メディアの取材に応じるなど、巨人では輝くことはなかった元ドラフト1巡目右腕はたくしまくなった。

 NPBで1軍未出場の選手がメジャーにデビューしたのは日本選手では史上初。「しんどいこともたくさんあったけど、やってきてよかった」。初舞台は69球で終わったが、歴史的な一歩をしるしたことは間違いない。

 ▼巨人・斎藤投手コーチ(村田の入団年の2軍投手コーチ)素晴らしいよね。何事にも真面目に取り組んでいた。また諦めずに頑張ってほしい。

 ◆村田 透(むらた・とおる)1985年(昭60)5月20日、大阪府生まれの30歳。大体大浪商では2年春のセンバツに出場も、2回戦の鳴門工戦で敗退。大体大3年時の全日本大学選手権では初優勝に貢献し、MVPに輝いた。07年の大学・社会人ドラフト1巡目で巨人に入団。10年限りで戦力外となり退団。同年12月にインディアンスとマイナー契約を結んだ。1メートル83、79キロ。右投げ左打ち。

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