【高校野球100年】平安中・富樫 準Vも監督で全国制覇

[ 2015年6月16日 11:01 ]

ローマ字が禁止され漢字で「平安」と書かれたユニホーム(平安野球部100年史から)

高校野球100年~歴史と名シーン~

 平安中のエース富樫淳は大会屈指の好投手だった。剛速球とドロップ(落差の大きい縦カーブ)を駆使して京都大会を制し、膳所中(滋賀)との京津代表決定戦は無安打無得点試合で甲子園出場を決めた。

 大会でも1回戦・市岡中戦で無安打無得点を達成。もちろん、この大記録も幻の記録だ。だが、準々決勝・一宮中戦で1安打完封も右肩を痛めた。大会日程の関係でダブルヘッダーとなった最終日。準決勝こそしのいだが、決勝戦は肘から先で腰のひねりを使った山なりの球を投げることしかできず、最後は押し出し四球によるサヨナラ負けを喫した。

 女房役を務めた原田清さん(88)は「150キロは出ていたんじゃないかな。ケガさえしてなかったら、間違いなく優勝できていたと思う。本当に残念」と当時を振り返る。富樫はその後、法大―大阪(現阪神)を経て母校監督に就任。56年夏には全国制覇も果たしている。「幻の大会ってのはおかしな話。でも何もない時代、練習も満足にできなかったけど、純粋に甲子園を目指す気持ちは今の子供たちと同じだったからね」と原田さん。甲子園を目指す地方大会は20日にスタートする。

 ▽決勝 (1942年8月29日)
平安中
 100 001 040 01─7
 010 000 500 02X─8
徳島商
 (平)富樫、小俣、富樫―原田
 (徳)加藤―笹川

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