ヤクルト山中 サブマリン対決制しプロ1勝 手首の角度で“大化け”

[ 2015年6月13日 05:30 ]

<西・ヤ>西武・牧田とのサブマリン対決を制した山中

交流戦 ヤクルト9-3西武

(6月12日 西武D)
 プロ3年目、29歳でつかんだ初勝利。ヤクルト・山中は喜びよりも、安ど感に浸っていた。「疲れました。プロで勝つって本当にしんどいこと」。九州東海大の先輩でもある松岡から受け取ったウイニングボールを手に、しみじみと言った。

 ソフトバンク時代の13年4月3日。プロ初登板も西武ドームだったが、4回途中4失点で黒星を喫した。あれから800日。ヤクルトの一員としての初先発は同じ下手投げの牧田との投げ合いで、高低を使った投球で強打の西武打線を翻ろうした。120キロ台でも浮き上がる直球。それを決め球に19歳の森を3打席連続三振に封じ込んだ。

 必由館2年時、横手投げから下手投げに変えた。「腕の位置を低くしたら、打者が打ちにくいかな」と登板した試合で抑えたことが自信になった。当時から参考にしたのが元ロッテの渡辺俊介。プロ1年目のオフには石垣島での合同自主トレが実現。変化球の握り方など意見を交わし、「基本的には同じことを考えているんだと思った」と貴重な時間を過ごした。

 そして、もう1人、目標としてきた投手が牧田だった。映像を見ては体の使い方、球の速さを研究した。Honda熊本時代の08年、日本通運に所属していた牧田と投げ合ったが、当時の山中は中継ぎ。この日は味方打線が牧田を攻略し、3回途中でマウンドから引きずり降ろすと「よっしゃ、と思った。牧田さんより先にマウンドを降りないように、と思った」とプライドものぞかせた。

 昨年7月にトレードで加入したが、9試合で防御率6・75。今季は手首の角度を時計の針に例え「6時から12時の方向に」と立てるようにしたことで変化球の切れが増した。さらにツーシームを投げるようになり投球の幅が広がった。2軍戦では13試合で防御率0・98。4月22日の登板から6試合29イニング連続自責0と結果を残し、抜てきされた舞台で結果を残した。「自信とか手応えは全くないです。チームに迷惑しか掛けていないので、またこういう投球ができるように頑張ります」。その視線はもう、次を見据えていた。

 ▼ヤクルト・真中監督(山中について)いい内容でした。登板機会がないので一度(登録を)外すが、1軍で投げられるということを、しっかりアピールできた。

 ▼ヤクルト・松岡(最終回を締めて)同じ試合で、しかも勝ち試合で一緒に投げられて、緊張したけど僕もうれしかった。何かご褒美を考えないと。

 ≪主な下手投げ対決≫

 ☆山田久志(阪急)対松沼博久(西) 先発対決は10度。山田は80年6月22日の初対戦でいきなり完封するなど7勝2敗と圧倒。松沼は5度目の82年8月5日にやっと勝利し2勝7敗だった(勝敗なしが1試合ずつ)。

 ☆三沢淳(中)対松沼博久 82年の日本シリーズ第4戦で先発対決。三沢は4回1/3を3失点、松沼は3回2失点で降板しともに勝敗つかず。

 ☆宮本賢治(ヤ)対御子柴進(神) 87年6月21日、翌年9月14日に先発で対決し、いずれも宮本が勝利、御子柴が敗戦。94年5月13日にも投げ合ったが、両者に勝敗はつかなかった。

 ☆渡辺俊介(ロ)対牧田和久(西) 先発対決はないが、11年8月20日にそろって登板。渡辺は先発で6回3失点も黒星。一方、牧田は9回から登板しセーブを挙げた。

続きを表示

この記事のフォト

2015年6月13日のニュース