工藤監督も驚き “審判は石ころ”じゃなかった

[ 2015年6月9日 12:37 ]

<D・ソ>7回2死満塁、柳田の打球の判定をめぐりルールブックを手に抗議するソフトバンク・工藤監督

 野球のルールは難しい。あらためて思い知らされたのが2日のDeNA―ソフトバンク戦(横浜)である。7回表、ソフトバンクの攻撃。2死満塁から柳田が放った打球は二塁塁審に当たって中前へ。三塁走者に続いて二塁走者も三塁を回って生還…と思いきや二塁走者は三塁に戻された。

 どうして?打球が審判員に当たった場合はボールインプレーじゃないのか。私も、抗議に飛び出した工藤監督や「これはおかしい。審判は石ころですから」と連呼したテレビの実況アナウンサー、解説者と一緒。公認野球規則5・09(f)の【原注】に「打球が投手を通過してから、内野内に位置していた審判員に触れた場合は、ボールデッドとなる」とあるのを知らなかったのである。「内野内」というのが死角だった。

 有名な「石ころ事件」は1982年(昭57)の日本シリーズ、2勝2敗で迎えた第5戦(西武)で起きた。3回表、中日の攻撃。2死二塁から平野謙の打球は一塁手・田淵幸一の脇を抜けた。誰もが先制と思った瞬間、打球は一塁塁審の村田康一審判員の右足に当たって二塁方向へ。山崎裕之から三塁のスティーブに送られ、二塁走者の田尾安志はタッチアウト。これで流れをつかんだ西武が4勝2敗でこのシリーズを制するのである。

 これで学んだのが公認野球規則6・08(d)にある「内野手(投手を除く)をいったん通過するか、または野手(投手を含む)に触れたフェアボールが審判員に触れた場合にはボールインプレイである」(原文のまま)という部分だ。

 人工芝が導入されて間もない時代でまだ土のグラウンドも多く、小石によるイレギュラーバウンドが少なくなかった。その意味で「審判は石ころと一緒」と教わったのだが、その位置が限定されているのは全く意識しなかった。当時、審判員を「内野内」で見ることはなかったからだ。

 大リーグ方式を取り入れて二塁塁審が内野手の前に位置するようになったのは90年代終盤。無走者、走者三塁、また内野手が前進守備を敷くときは二塁ベースの後方に立つが、それ以外は一、二塁間または二、三塁間の内側に入る。この方がけん制、盗塁の際にボールが見えるし、カバーの動きにも入りやすい。合理的な理由である。

 今回つくづく思った。審判は石ころじゃない。動くルールブック。場内説明が分かりやすかったら、もっとよかったんだけどなあ。

続きを表示

2015年6月9日のニュース