「法政三羽ガラス」富田勝さん死去 プロ史上2人目全球団本塁打も

[ 2015年5月27日 05:30 ]

死去した富田勝氏

 南海(現ソフトバンク)や巨人などで内野手として活躍した富田勝(とみた・まさる)氏が26日午後5時32分、肺がんのため大阪市の病院で死去した。68歳だった。法大時代は田淵幸一(68=スポニチ本紙評論家)、山本浩二(68)の両氏とともに「法政三羽ガラス」と呼ばれるなど活躍。東京六大学野球の黄金時代を支えた。4球団を渡り歩いたプロ野球でも史上2人目の全球団本塁打を達成。ファンの記憶に深く刻まれた名選手が逝った。

 「法政三羽ガラス」のうちの一人が、この世を去った。富田氏は、法大でリーグ屈指の三塁手として活躍。通算67試合で打率・302、8本塁打、43打点の成績を残し、ベストナインにも2度選ばれた。長打力を評価された田淵氏、走攻守そろった山本氏に対し「実戦向きの即戦力」として注目された。同学年の明大・星野仙一氏(現楽天シニアアドバイザー)とはライバルとしてしのぎを削った。まさに東京六大学のスター選手だった。

 富田氏が体調を崩して入院したのは3年ほど前。その後も入退院を繰り返していたが、ここにきて肺がんの病状が悪化。それを伝え聞いた田淵、山本両氏は今月19日に見舞いに訪れ、病室で「法政三羽ガラス」が再会した。その際に富田氏は薬でもうろうとした状態ながら、2人が話しかけると目を開けてニコッと笑ったという。

 訃報を聞いた田淵氏は「あいつは本当の親友。病状を聞いて気になっていただけに本当に残念。言葉もない」と声を絞り出した。64年12月に兵庫・洲本で行われた法大野球部のセレクションで出会ってから、半世紀以上にわたって固い絆で結ばれてきた。「すぐに意気投合した。ガッツのある本当のファイターで、私が大学で主将の時も何度も助けてくれた」と故人の死を悼んだ。

 富田氏は68年ドラフト1位で南海に入団。プロ生活は69年から14年間、計4球団を渡り歩いた。72年オフには、長嶋茂雄の後釜を求める巨人にトレードで移籍。73年10月11日の首位・阪神との一戦では、劣勢の展開で江夏豊から3ランを放って引き分けに持ち込み、そして最終戦で阪神に勝って9連覇を達成した。

 75年オフには張本勲(スポニチ本紙評論家)とのトレードで日本ハムへ移籍。現役最後の球団は中日だった。81年8月26日の巨人戦(後楽園)、星野氏が先発した試合で、5回に右翼への3号ソロを放った。「巨人戦で本塁打を打ちたい」が富田氏の口癖で、この一発で史上2人目のプロ野球全球団からの本塁打を記録した。タイトル獲得こそなかったが、オールドファンの記憶に鮮明に残る昭和の名プレーヤーだった。

 通夜は28日午後6時から、葬儀・告別式は29日午後1時から大阪市阿倍野区阿倍野筋4の19の115、大阪市立やすらぎ天空館で。喪主は長男大介(だいすけ)氏。

 ◆富田 勝(とみた・まさる)1946年(昭21)10月11日、大阪府出身。大阪・興国では甲子園出場はなし。法大を経て、68年ドラフト1位で南海に入団。72年オフに巨人にトレードされ、76~80年は日本ハム、81年は中日でプレー。翌82年限りで現役を引退し、野球解説者の傍ら少年野球の指導などもしていた。プロ14年間の通算成績は1303試合で打率.270、107本塁打、451打点、126盗塁。オールスター出場2度。

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