田淵氏「言葉もない」浩二氏「深い悲しみ」…富田勝さん死去に悲痛

[ 2015年5月27日 05:30 ]

1968東京六大学野球秋季リーグ、22号3ランホーマーを放ちホームインの田淵幸一(右から富田勝、山本浩二)

 南海(現ソフトバンク)や巨人などで内野手として活躍した富田勝(とみた・まさる)氏が26日午後5時32分、肺がんのため大阪市の病院で死去した。68歳だった。法大時代は田淵幸一(68=スポニチ本紙評論家)、山本浩二(68)の両氏とともに「法政三羽ガラス」と呼ばれるなど活躍。東京六大学野球の黄金時代を支えた。4球団を渡り歩いたプロ野球でも史上2人目の全球団本塁打を達成。ファンの記憶に深く刻まれた名選手が逝った。

 ▼山本浩二氏 法大のセレクションで初めて会ったから、もう50年の付き合いになる。そのセレクションの後に(大阪の)トミの家に泊めてもらった。大学では2年春に内野手のトミと外野手の私で日が暮れてもノックをした。後で(法大の)松永監督に聞いたら「ブチ(田淵)の前後を打つ打者をつくりたかった」と話していたけど、1人だったらどこかで音を上げていたかもしれない。お互い良きライバルでもあった。負けたくないという気持ちもあった。私が侍ジャパンの監督をしていた13年2月、(体調を崩していた富田氏が)大阪遠征中に激励に来てくれたことは忘れない。本当に深い悲しみでいっぱいだ。

 ▼松永怜一氏(当時の法大監督)闘志の塊みたいな男だった。三羽ガラスのおかげで法政の黄金時代が築けた。私の監督人生最高のチームの主軸を担ってくれた。法大の創部100周年を一緒に祝いたかったのに残念でならない。

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