横浜・渡辺監督が勇退…プロ入りした教え子は50人以上

[ 2015年5月15日 05:45 ]

98年夏の甲子園・準々決勝のPL学園戦で17回を投げ抜いき勝利した松坂と渡辺監督

 甲子園で春夏合わせて5度の全国制覇を誇る横浜(神奈川)の渡辺元智監督(70)が、今夏限りで退任することが14日、明らかになった。高齢に加え、近年は体調不良に悩まされることが多く、ユニホームを脱ぐことを決意した。甲子園歴代3位タイの51勝を挙げている名将は今後、同校野球部の終身名誉監督としてサポート役に徹する。後任は01年夏の甲子園で4強入りした時の主将だった平田徹部長(32)。渡辺監督が最後の指揮を執る今夏の神奈川大会は7月11日に開幕する。

 20歳の若さで母校・横浜のコーチになってから51年。半世紀にわたって高校球児を指導してきた渡辺監督が今夏限りで勇退する。痛めていた腰の状態が悪化したことなどを理由に「体力に自信がなくなった。選手に迷惑がかかる」と、4月下旬に学校側に退任を申し出た。11日に検査入院し、約1週間で退院する予定で「今後も後任監督のサポートや生徒の指導に携わっていきたい」と話しているという。

 27度の甲子園出場で通算51勝。68年に監督に就任すると、東海大相模の原貢監督に何度も甲子園出場を阻まれた。それでも73年のセンバツでエース永川(元ヤクルト)を擁して初出場初優勝を成し遂げ、80年は愛甲(元ロッテ)が投打の柱となって夏の甲子園初制覇。98年には松坂(ソフトバンク)ら4人がプロ入りした最強チームで臨み、準々決勝でPL学園と延長17回の死闘を制するなど、史上5校目の春夏連覇を達成した。公式戦は前年秋の新チーム結成から無敗の44連勝という不滅の記録を残した。

 選手が毎年入れ替わる高校野球で70、80、90、00年代と各世代で日本一に導いた、ただ一人の監督。その裏には度重なる苦労があった。コーチ時代の指導初日には血気盛んな選手から「顔貸せや」とすごまれても、一歩も引かず、ノックの雨を降らせた。野球部から逃げ出さないように自宅に選手を住み込ませ、家族を養うための生活費をパチンコで補う暮らしを強いられたこともあった。

 76年から関東学院大に通い、教員免許を取得。先生として教壇に立つことで生徒への接し方も変わった。「時代とともに指導方法は変わる」という方針の下、最近では携帯電話のメールなどを使い、選手との距離を縮めていた。控え部員への配慮も欠かさず「人生の勝利者たれ」、「目標がその日その日を支配する」という言葉を贈ってきた。プロ入りした教え子は50人を超えた。

 89年には胃かいようで長期入院し、2年間部長を務めた時もあった。04年には脳梗塞で倒れ、近年はストレスから腰痛やメニエール症候群も発症した。前部長の小倉清一郎氏が昨年限りで退任。名コンビが解散したが、渡辺監督は18年の夏の甲子園100回大会へ向け「もう一度、春夏連覇できるチームをつくる」ことを目標に掲げていた。だが、満足にノックを打てなくなるほど、体力は限界に達していた。激戦区の神奈川を勝ち抜き、甲子園を沸かせた名将。気力を振り絞り、最後の夏の指揮を執る。

 ▼渡辺 元智(わたなべ・もとのり)1944年(昭19)11月3日、神奈川県生まれの70歳。横浜では中堅手。神奈川大に進学したが、右肩の故障で野球を断念。65年に横浜のコーチに就任し、68年から監督を務める。73年センバツで初優勝するなど、5度の全国制覇。98年には松坂(現ソフトバンク)を擁し甲子園春夏連覇、明治神宮大会、国体の4冠を達成した。甲子園では歴代3位タイの通算51勝。

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