投球フォーム苦しむ松坂に恩師がアドバイス「右肘上げる練習を」

[ 2015年4月28日 09:00 ]

状態が不安視される松坂

 今季ソフトバンクに移籍し、9年ぶりに日本球界に復帰した松坂大輔投手(34)。現在は右肩筋肉疲労のため離脱中と、「平成の怪物」はいまだ一軍登板はなく、状態が不安視されている。野球ライター・菊地選手が、高校時代に松坂と二人三脚でフォームを作り上げた小倉清一郎さんに「今の松坂」について聞いた。

 松坂大輔のフォームを見て、激しいショックを受けた。

 オープン戦のマウンドに立った松坂に、その全盛期を知る野球ファンなら誰もが違和感を覚えたのではないだろうか。踏み込みが浅く、上体が立ったような形で、ボールを前でリリースすることができない。数々の強打者たちに空を切らせてきたストレートは、抑えが効かず高めに抜けてしまう。

 もちろん、メジャー時代から投球フォームの異変は始まっていた。2009年に股関節を痛め、2011年には右肘にメスを入れた。それでも、一般的にメジャーリーグのマウンドは日本よりも硬いと言われている。松坂にはメジャーのマウンドが合わなかったのではないか。日本に戻ってくれば、また本来の「松坂大輔」が見られるのではないか…。

 それはあまりに都合のいい幻想、いや願望だったのかもしれない。横浜高時代、グラウンドから風呂場まで松坂を付きっきりで指導した小倉清一郎さんに、今の松坂の状態をどう見るか聞いてみた。小倉さんは「それは、大変つらいよね」と絞り出し、こう続けた。

 「ケガや年齢のこともあって、昔ほど体の自由がきかないんだろうな。フォームがしっくりこないのは、本人が一番わかっていて、でも直せないことへのジレンマがあるんだと思う」

 具体的に何が悪いのか。小倉さんは「いろいろある」と前置きした上で、「1回、思い切って肘を高く上げられる投げ方にしたらどうかと思う」という考えを口にした。

 「今はトップに入る時に右肩が落ちて、肘が上がってこない。だから、あえて極端に右肘を上げる練習をしてみたらどうかと思うんだよ」

 この「あえて極端なことをする」というのは、小倉さんが得意とする矯正法のひとつだ。「右肘を上げよう」と思っても、なかなか肘は上がってこないもの。また、細部を意識しすぎるとフォーム全体が狂う危険もある。しかし、小倉さんはあえて右肘を「上げすぎる」練習をする。この練習をして、今度は普通に投げる意識で投球すると、右肘がちょうどいい位置になるという。もちろん、下半身との連動など考えるべきことはたくさんあるため、肘の位置だけが問題ではないのだが、こうした積み重ねでフォームを作ってほしいと小倉さんは言っているのだ。

 「今のままだとキツイ。150キロが出ればいいが、それも出ない。でも、変化球の切れ味はまだ持っている。145キロをコンスタントに出せるようになれば、まだやれると思いますよ」

 「松坂は終わった」と突き放すのは簡単だ。しかし、松坂大輔はただの野球選手ではない。高校時代から多くの野球ファンを熱狂させ、あまりに大きな影響を与えてきた功労者なのだ。2大会連続のMVPに輝いた2009年WBCでの奮闘が、すでに痛めていた股関節の状態を悪化させ、フォームを狂わせたとも見られている。日本野球に多大な貢献をもたらしてきた松坂を一人のファンとして応援したい…。しかし、そんな思いも今の松坂にとっては重荷なのだろうか。ふと、小倉さんにそんなことを漏らすと、こんな反応が返ってきた。

 「いや、俺はそうは思わない。プロなんだから結果がすべて。ダメなら負け。それまでなんだ。でもね、『教え子は成功して終わらせたい』という願いは、俺は誰よりも持っていますよ」

 松坂大輔が松坂大輔であり続けるために――。日々、誰にも押しつけることのできない重圧とともに松坂は戦っているに違いない。松坂が今後、どのような道をたどるのか。そのカギは、日本での「再デビュー戦」にあると小倉さんは見ている。

 「デビュー戦でどういうピッチングをするのか。初戦でやられ、次もやられ…となると、自信喪失をするかもしれない。だから初戦が大事です」

 1999年4月7日、西武対日本ハム戦。高卒1年目の松坂は東京ドームのオーロラビジョンに「155キロ」の球速を表示させ、新たな伝説を作った。あれから16年の時を経て、松坂大輔の野球人生をかけた再デビューの日が刻一刻と近づいている。

 ◆菊地選手(きくちせんしゅ) 1982年生まれ(松坂世代の1学年下)、東京都出身。野球専門誌『野球太郎』編集部員を経て、フリーの編集兼ライターに。プレーヤー視点からの取材をモットーとする。著書に『野球部あるある』シリーズがある。

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