阪神の“下克上男”島本 3桁背番から今季目標50試合登板へ挑戦

[ 2015年4月7日 08:10 ]

初登板で力投する島本

セ・リーグ 阪神―DeNA

(4月7日 甲子園)
 昨年11月に育成枠から支配下登録され、2日のヤクルト戦(神宮)でプロ初登板を果たした阪神の島本浩也投手(22)が、育成4年間での苦悩や故障、1軍マウンドを踏んだ心境などを明かした。背番号3桁からの「下克上」を体現する左腕は、今季50試合登板を目標に掲げ、さらなる飛躍を誓った。

 神宮のマウンドに立つと、島本の背に、想定外の声援が降り注いだ。

 「ファンの方は“誰やねんこいつ”という反応だと思ったんですけど“頑張って投げろよ”と言ってくれる方が多くて…嬉しかったですね」

 4年分の思いをぶつけるように腕を振り、2回1安打無失点と最高の結果を残した。大歓声に包まれ、ベンチへ歩を進めたシーンを「あの時間が一番最高でした。声援を独り占めできた感じで」と声を震わせた。

 「つらいことしかなかった」という4年間の育成時代。目標の支配下登録は近いようで遠く、コンプレックスは増大していった。

 「2軍のキャンプでも支配下と育成選手は宿舎が違う。自分より若い選手や後輩が寝起きでホテルの部屋からそのまま朝食会場に来ているのに、僕らは、朝早く起きて、準備して。寒いからしっかり着込んで(ホテルまで)歩いていって…。悔しさがあった。絶対に支配下に上がってやろうということしか考えてなかった」

 育成選手を示す3桁背番号の「126」も直視したことはなかった。ファンからサインを求められても「3桁を書くのがめちゃくちゃ嫌だった」と、あえて、記さないことが多かった。「絶対に2桁にする」との決意からアンダーシャツなど野球用具に背番号を入れることもしなかった。

 4年目の昨年、背水の思いで臨んだ左腕に大きな試練が待ち受けていた。2月の安芸キャンプ中に左股関節を痛めたが「ケガで離脱は絶対にしたくない」と、テーピングをグルグル巻きにして実戦登板を重ねた。

 だが、限界が訪れる。3月16日の教育リーグ・中日戦の9回に登板し無失点で終え、帰阪するバスに乗り込むと左足付け根から足先に経験したことのない激痛が走った。

 「人生で味わったことがない痛みでした。ドクドクドク…って痛んで。足の付け根に心臓があるみたいだった。痛くて勝手に涙が出てきて。バスの中はみんな寝てたんですけど、吐き気も出て来て、やばい、となって隣の小豆畑さんに言って、トレーナーを呼んでもらったら、骨折してると」

 そこから1時間半、寄り添う山下幸志トレーナーの体をつかみ続けて痛みに耐えた。鳴尾浜につくと、救急車で緊急搬送された。「恥骨のはく離骨折」で全治2カ月という診断結果。勝負をかける年に大きな出遅れとなる痛恨の負傷…と思われたが、驚異の回復を見せた。

 「本当は3週間ぐらい松葉杖だと言われたんですけど、次の日に松葉杖は取れた。痛みが引いて普通に歩けたんです」

 今年に懸ける思いが治癒を早めたのか、野球の神様が力を貸してくれたのか-。約1カ月後には実戦復帰し、2軍で結果を残すと、11月21日に念願の支配下登録を果たした。

 「支配下になって自分の中でいろんな可能性が広がった。今年はチャンスあるなと思っていた。周りは実績ある人ばかりなのに、僕をベンチに入れてくれている。使うのも怖いと思うので。まだチームに貢献することは考えられないですけど、ガムシャラに頑張りたい。目標は大きく50試合登板ですね」

 サクセスストーリーはまだ始まったばかり。「軽く」なった背番69を背負い、島本は躍動する。

 ▽島本のプロ初登板 4月2日のヤクルト戦(神宮)、1―5の6回から3番手で登板。先頭の荒木を一邪飛、川端を中飛で2死。山田を四球で歩かせたが、捕手の梅野が二盗を刺して難を逃れた。7回は4番・雄平に対しフォークで空振り三振。畠山に左安打を許すも、後続の田中浩、中村を打ち取った。「1イニング目は緊張しましたけど、2イニング目はしっかり腕を振れたと思う」。2イニングを投げ、この日登板した阪神の4投手で唯一の無失点と、上々のデビューを飾った。

 ◆島本 浩也(しまもと・ひろや)1993年(平5)2月14日生まれ、奈良県出身の22歳。福知山成美では2年春からベンチ入りも甲子園出場なし。10年育成ドラフト2位で阪神入り。14年11月21日に支配下登録される。今季推定年俸420万円。1メートル76、67キロ。左投げ左打ち。

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