宝塚歌劇団の新理事長は早慶戦“劇弾男”だった

[ 2015年2月27日 07:23 ]

宝塚歌劇団の理事長に就任する小川友次氏

 4月1日付で宝塚歌劇団の新理事長に内定した小川友次氏(58)。現在、梅田芸術劇場の社長として活躍しているが、野球選手として神宮を沸かせた話は意外と知られていない。

 大阪出身の小川氏は中学を卒業すると、神奈川の慶応高に進学。そのまま大学でも野球部の門を叩いた。小川氏を一躍有名にしたのが4年生の春、伝統の早慶戦だった。主に守備要員として試合終盤に出場していたが、1勝1敗で迎えた1978年5月29日、早大3回戦は福島敦彦監督の「4年生で勝負!」の意向で、初めて7番三塁として先発で出場した。試合は両軍無得点で進み、7回、慶大の攻撃。ここで打席に立ったのが小川氏。マウンドにはエース向田。「向田だったのでカーブしか狙っていなかったですね。真ん中の。そうしたらドンピシャで。みんなから神風が吹いたって。何ででやねん!って感じですよ」。

 カーブを完ぺきに捕らえた打球はライナーで左翼席へ。このソロアーチの1点を守りきり、早大からは5シーズンぶりに勝ち点を挙げた。早大には後に阪神の監督になる岡田、西武などで活躍した金森らがおり、それまで通算4打数1安打の男が放った”激弾”は値千金だった。

 79年に阪急電鉄に入社した後も野球との縁は切れない。83年からはブレーブス(現オリックス)の広報に就任。翌84年には三冠王となったブーマーを中心にパ・リーグを制覇。日本シリーズでは広島に敗れ日本一にはなれなかったが、裏方としてチームを支え続けた。

 「宝塚もある意味、体育会的なところなんですよ。汗をかいてお客様に喜んでもらえる舞台を作る。それは変わりません」

 宝塚歌劇100周年の大事業も歌劇事業部長としても支えた。101年目の新たなスタートを切る年に理事長に就任。責任は重いが“持ってる男”の手腕で、さらに魅力あふれる宝塚を作ってくれそうだ。

 ◆小川 友次(おがわ・ともつぐ)1956年9月12日、大阪生まれの58歳。慶応高―慶応大。大学では内野手として活躍。通算成績は9打数2安打、1本塁打、3打点。79年阪急電鉄に入社。阪急ブレーブス広報などを経て、2009年梅田芸術劇場社長。今年4月1日付で宝塚歌劇団理事長に就任する。

続きを表示

この記事のフォト

2015年2月27日のニュース