松坂を3年間指導…杉本氏は見た「力から技へ、松坂の変身」

[ 2015年2月19日 11:08 ]

松坂(左)の日本球界復帰に期待し握手する本紙評論家の杉本氏

 力から技へ、松坂の変身を見た。注目の野球人の本音に迫る「球春インタビュー」。第4回は9年ぶりに日本球界に復帰し、ソフトバンクに加入した松坂大輔投手(34)。11年の右肘手術からの完全復活を目指す「平成の怪物」に、今季からスポニチ評論家軍団に加わった元ソフトバンク投手コーチで、松坂がプロ入りした99年から3年間、西武1軍投手コーチとして指導した杉本正氏(55)が直撃した。

 杉本 久々に大輔のピッチングを見せてもらった。ブルペンではステップの幅を変えたり、いろいろ試している。ただ30代半ばになり、年齢の影響もあるのか、ステップする左足がオープンになっている。もう少し本塁方向に真っすぐ出すよう、我慢できればと思った。

 松坂 確かにそうです。ただ、僕の場合は(11年の右肘手術後は)逃がさないと投げられなかった。踏ん張れば肘、肩にくる。横振りのフォームにしたくてしたのではなく横振りでないと投げられなかった。故障でフォームを崩していました。

 杉本 なるほど。ただ、昨年あたりから元の形に戻りつつあると思う。もともと、大輔は右打者の外角直球より、内角の直球がしっかり投げ切れるタイプ。ブルペンでタイミングが合った時、そこに強い球が投げられていた。

 松坂 やっとです。手術後は先発で1年間フルに投げたことがなかった。でも、3年たって、肘の状態は落ち着いてきた。

 杉本 フォームのことで言えば、ブルペンでカーブを投げていた時は上と下のタイミングが合ってバランス、体の使い方が一番良かった。

 松坂 昔からそうでした。試合の途中でもバランスが崩れていると思うと、カーブをちょっと増やして修正していた。カーブの時は余計な力が入らずに上体と下半身のタイミングが無理のない形になる。この感覚で真っすぐも投げられれば、球威も上がってくると思う。

 杉本 キャンプで報道陣をシャットアウトしてブルペンで投げ込んでいた。西武時代もやっていたが、練習を1人でやっていくタイプ。当時も自分を見つめる時間を取っていたね。

 松坂 静かな空間の中で自分のやりたいことに集中したいんです。やはりコーチ、評論家の方だったり、カメラの人がいると、どうしても気になってしまうことがある。できればキャンプ中にもう一度やりたいですね。 

 杉本 9年ぶりの日本の野球。チームにはもう慣れた?

 松坂 すっかり。ホークスの選手はみんなよくしゃべるし、明るい。キャンプ施設も素晴らしい。

 杉本 日本にいない間に対戦相手の顔触れは変わった。糸井、中田とか、どんなイメージ?

 松坂 対戦していないので分からないが、西武時代は中村ノリさん、イチローさん、松中さん、小笠原さんらスケールの大きなバッターがいました。それとは少し違う気がする。とにかく対戦してみて自分で感じ取っていきたい。

 杉本 プロ1年目のデビュー戦では日本ハムの片岡(本紙評論家)を真っすぐで空振り三振にとった。155キロだった?ファンはあの怪物ぶりをまた求めるかもしれない。

 松坂 あのイメージはもうありません。おとなしくなったし、ピッチングが変わっています。

 杉本 当時は投げた後に右手が背中に当たって「パチン!」と音がするぐらい腕が振れていた。

 松坂 今もいい時は右手が背中に届きます。試合が終わったらアザができるぐらい。だから逆に来ない時は意識して引っ張ってきたりしますね。今は前で止まってしまうことが多いけれど、この時期ですからね。

 杉本 日米通算200勝まであと36勝。西武入団の時、東尾さん(当時監督、本紙評論家)の200勝記念ボールをもらって、自分の200勝ボールをお返しすると言っていたね。

 松坂 そうですね。ボールはともかく、200勝達成でしっかりお返しできるように頑張ります。

 ◆杉本 正(すぎもと・ただし)1959年(昭34)5月3日、静岡県生まれの55歳。御殿場西から社会人の大昭和製紙に進み、80年都市対抗優勝に貢献。同年ドラフト3位で西武に入団した。82、83年のリーグ連覇の原動力となり、85年に中日移籍。86年は12勝、87年は開幕投手を務めて13勝を挙げた。90年にダイエーへ移籍。93年引退後はダイエー・ソフトバンク、西武、横浜(現DeNA)、韓国・KIAで投手コーチを歴任。長女は、福岡のローカルアイドルグループ「LinQ(リンク)」の杉本ゆさ(23)。

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