阪神・西岡で始まり西岡で終わった一年(1)後輩に贈った感謝のメール

[ 2015年1月6日 11:00 ]

搬送される途中、巨人ファンと阪神ファンの声援に左腕を上げて応える西岡

 2014年は阪神・西岡剛内野手(30)にとって、波瀾(はらん)万丈のシーズンとなった。開幕3戦目の3月30日の巨人戦(東京ドーム)の守備中に右翼・福留と激突し、大ケガを負った。過酷なリハビリを経てソフトバンクとの日本シリーズに出場したが、10月30日の第5戦(ヤフオクドーム)で、まさかの「守備妨害」で終戦。西岡で始まり、西岡で終わった一年を振り返る。

 その一瞬だけ頭に血が上り、西岡は冷静さを失っていた。3月30日の巨人戦(東京ドーム)。1勝1敗で迎えた第3戦の先発マウンドには榎田がいた。0―0の2回。先頭の村田に左翼線二塁打を許し、ロペスの遊ゴロで1死三塁。阿部を三振に斬り、坂本を迎えると、二塁手・西岡は左腕の元へ歩み寄った。

 「下位打線へ続くから、簡単に勝負にいくな」。後続は8番・橋本、9番・大竹。だが、助言もむなしく坂本の打球は右前で弾む。先制適時打。橋本にも右前打されて一、二塁。悪夢は刻一刻と近づいていた。大竹を迎え、右翼の福留は西岡に声を掛けていた。「二塁と右翼の間の打球は俺が捕りに行く!」。しかし、耳には届かない。大歓声のせいではない。西岡の体は先制点を許した悔しさで包まれていた。

 次の瞬間、大竹の力ない打球が打ち上がる。これ以上失点を許したくない一心で、西岡と福留は白球を追った。鈍い音。歓声と悲鳴。背走した西岡は激突の衝撃で宙に打ち上げられ、頭から人工芝に叩きつけられた。強打した箇所があと数センチ頭寄りなら脳に、背中寄りなら脊髄に損傷が残ったとも言われるほど、激しい落下だった。

 「ぶつかったときの記憶はない。もう野球はできないと思った」。人工芝に仰向けのまま白目をむき、口内出血もあった。「背中が痛い…」とつぶやくのを聞いた球団トレーナーは「胸椎損傷の可能性がある」と判断。頭頸(とうけい)部を完全固定され、そのまま病院へ救急搬送。診断は「鼻骨骨折」「左肩鎖関節の軽い脱臼」「胸部打撲」。後日「左右の第1肋骨骨折」も判明した。

 その夜、多くの知人が見舞いに訪れた。親交の深いKAT―TUNの亀梨和也、歌手の青山テルマ、そして今成、大和ら同僚も。普段から弟分としてかわいがる2人は、関西へ向かう最終の新幹線の時間まで病室にいた。「何しに来たんや。はよ帰れ」。必死に声を絞り出し、悪態をつく。彼らが大阪への途に就いたとき、一通のメッセージを携帯電話に送った。

 「疲れているのに、来てくれてありがとうな」

 翌31日に退院し、関西へ戻った。患部への負担を最小限にとどめるため、体中をコルセットで固定。心配する首脳陣からの電話に出る気すら起きない。大阪市内の病院に転院し、しばらくは車椅子での生活。ペットボトル飲料を持つのもやっとの状態で、日々施される治療の痛みに耐えかね、担当医に八つ当たりしたことも一度や二度ではない。全治不明。先の見えない、過酷なリハビリが始まった。

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