平井 名将2人の教えを受け継ぐ 厳しく、そして陰から温かく…

[ 2014年12月25日 11:05 ]

指導者として第2の野球人生を歩む平井

 8月29日。平井は生まれ故郷の愛媛へ向けて車を走らせた。宇和島東時代の恩師である済美の上甲正典監督が、闘病生活を送っていると知って、居ても立ってもいられなかった。病室で再会した恩師の顔は痩せ細っていた。ほとんど会話はできなかったが、「将来は、監督みたいになりますよ、と思いを込めて、面会に行ったんだ」。その4日後、胆管がんで帰らぬ人(享年67)となった。

 平井もその時、すでに引退を決意していた。自分は、指導者としてどうあるべきか。自問自答するたび「厳しかったが、一番思い出に残っている」という上甲監督の顔が浮かんできた。10月の引退会見では「夢叶(かな)うまで挑戦」と恩師の座右の銘を口にして、「何でもチャレンジすることが大事」と話した。

 入団時の監督だった故・仰木彬氏との思い出も忘れられない。初登板は94年9月10日の近鉄戦(藤井寺)で、9回裏無死満塁でマウンドに上げられた。先頭を三振、1死後にサヨナラ犠飛を打たれたが、試合後に監督賞を渡されて「あれがあったから、プロでここまでやれた」と出会いに感謝した。来季からは2軍投手コーチに就任。今後は恩師から学んだものを伝える立場になる。「2人の教えを守りながら、やっていくよ」。厳しく、しかし陰から温かく見守るような指導者になる。 

 ◆平井 正史投手(ひらい・まさふみ)39歳、21年目。宇和島東甲―オリックス―中日。93年ドラフト1位。

最高年俸9500万円(07年)

 ▼通算 569試合、63勝43敗41セーブ、防御率3.31。

 ▼思い出 プロ初登板の94年9月10日の近鉄戦(藤井寺)、9回裏無死満塁で救援し、サヨナラ負け。

 ▼再出発 オリックス2軍投手コーチ。

続きを表示

2014年12月25日のニュース