来年阪神・淡路大震災から20年…福留 恩返しV誓う

[ 2014年12月15日 05:30 ]

石巻で行われた野球教室で熱心に少年を指導する福留

 阪神・福留孝介外野手(37)が14日、宮城県石巻市の河南中央公園野球場で中日時代から親交が深い山崎武司氏(46=野球評論家)らと「錦秀会主催 復興支援野球教室」を行った。市内の少年野球12チーム計350人と約4時間、笑顔で触れ合い「震災を風化させない」と決意。来年1月17日で、阪神・淡路大震災発生からちょうど20年―。被災者に今一度勇気を与えるべく、全力で奪冠に挑むことを誓った。

 氷点下に迫ろうかという極寒の中でも、福留のハートは温かかった。3年前の東日本大震災発生以後、恒例となっている山崎氏とのチャリティーイベント。元気にグラウンドを走り回り、白球を追いかけ、バットを振る野球少年・少女と再会できたことが心から嬉しかった。

 「こうやって石巻に来て、何とか復興支援ができたらいいと思っているし、震災を風化させないようにしたい。これ(野球教室)ができるのが一番いいよね」

 野球教室では身ぶり手ぶりでスイング指導を施し、自身が直接フリー打撃でお手本を見せる場面もあった。参加者と「グラウンド1周」を賭けた本塁打競争では、両翼92メートルをものともせず、しっかり左翼芝にスタンドインさせて“貫禄”を披露し、児童たちとはしゃいだ。

 震災の影響で、引っ越しや転校を余儀なくされる子が多く、市内の小学校は閉校、廃校が続いている。「こっちに残っている人にとって、楽天というチームもあるけど、僕も少しでも力になれれば」。シーズン中に宮城県を訪れるのは交流戦時のみ。この日出会えた奇跡に福留も感慨深げな表情を見せ、来季へ向け新たな決意も立てた。

 阪神・淡路大震災からまもなく20年。優勝して、神戸に、大阪に、関西全体に光を灯したい―。

 発生時はPL学園(大阪)の2年生だった。「何もできなかったし、むしろ何かをしてもらう方だった。今はプロになって、少しでも恩返しができる立場。それは僕らにとってすごく幸せなこと」。出場が有力だった選抜も「開催できるかどうか、どっちなんだろうという状態だった」と回想する。3月。野球ができることに感謝の思いを抱きながら、甲子園球場を全力で駆け回った。今、あらためて語る。「勝つこともそうだけど、一生懸命やっている姿を見せられるのが一番いい」。17歳の春から変わらぬ信念を来季、今まで以上に見せつける。

 史上最年長となる38歳シーズンでの首位打者、右翼での全試合出場など、胸に秘めたる目標は多々ある。それでも一つ、絶対に揺るがないのは「恩返し」の思い。20年が経とうとする今でも、心に傷を持ったままの人は数え切れない。猛虎の勝利が、そんな人たちのほんの少しでも力になればいい。石巻での誓いを、福留が必ず実現する。

 ▽福留の95年センバツ 3年春にPL学園(大阪)の主砲として出場。開幕日の1回戦で、自身と共に注目されたスラッガー・沢井を擁する銚子商(千葉)と対戦した。試合は銚子商が初回に沢井のソロで先制すると、3回には福留の3ランでPLが逆転。その後は乱打戦となり延長11回の末、10―7で銚子商が勝った。PLの名物ともいえるアルプススタンドの人文字には、震災直後の大会ということもあり「希望」や「元気」といったものが採用された。

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