【ソフトB大隣手記】秋山監督、「緩急の大事さ」忘れません

[ 2014年10月31日 10:30 ]

<ソ・神>胴上げされる大隣

日本シリーズ第5戦 ソフトバンク1-0阪神

(10月30日 ヤフオクD)
 もともと日本一は目標だったけど、秋山監督がお辞めになることになって、その気持ちはさらに高まりました。日本一になれて、少しは貢献できたと思います。

 本当に監督と出会えて良かった。真っすぐ一本だった僕に、監督は「緩急の大事さ」を教えてくれた。プロ入り後、「何で大学(近大)の時のあの球が投げられへんのやろ」とずっと引っ掛かりながら5年、6年と時間がたっていった。監督に「見てて、しんどいんだよ」と言われたこともあった。当時は「そんなん言われても…」と思っていたけど、今、振り返れば激励の言葉だったんだと思う。

 10年5月21日の広島戦(ヤフードーム)。6回5失点で降板した時、監督とベンチで話をした。マウンドで投げている前田健を見ながら、緩急の大事さを説かれた。ただ緩いボールを投げればいいのではなくて、打者にどう考えさせて打ち取るのか。「バッターはこういうのが嫌なんだよ」と打者目線で言ってもらえたのが転機だった。

 それまでの自分は真っすぐが走っていて、インコースを突けないと勝負にならない、と考えていた。真っすぐを捨てたわけではないけど、球速にこだわらなくなった。マウンドで配球を含めていろんなことを考えながら投げるようになった。12勝した2012年頃から、監督に教わったことが確信に変わり、自分の中の引き出しが増えた。だから自信を持って投げられる。あの時、監督に言われなければ、いまだにくすぶっていたかもしれない。

 ご存じの通り、去年、黄色じん帯骨化症を患い、手術を受けた。痛みを押して登板していた時は、最後の方はベースカバーにも行けなかった。足裏の感覚が全くなくて、鉄板の上に足を置いてやけどしても分からないぐらいだったと思う。そんな状態だったから、普通に野球ができる、マウンドに立てていることがうれしい。

 だから、リーグ優勝した「10・2」もCSも日本シリーズも、特別な試合というのは感じていたけど、逆にそれを力に変えるぐらいの気持ちで投げられた。日本シリーズ進出を決めたCSファイナルS第6戦。試合後の監督インタビューの途中に秋山監督からお立ち台に呼ばれた。大事な試合に僕を選んでくれて、投げさせてもらえただけでうれしいのに、「大隣、呼びましょか」と言ってもらえて、胸に来るものがあった。昔は2軍の試合で8四球を出して「ほらなぁー。やらかすんだよ、こいつは」と言われたこともあった。よく見捨てずに使っていただいたなと。本当にありがたい。

 最後の胴上げはいいと断ったんですけど、松中さんが「おまえのおかげや」と言ってくれた。本当にここに戻ってこられてよかった。(福岡ソフトバンクホークス投手)

 ◆大隣 憲司(おおとなり・けんじ)1984年(昭59)11月19日、京都府生まれの29歳。京都学園では3年春の近畿大会優勝も甲子園出場なし。近大3年時の大学選手権で1試合19奪三振の大会記録を樹立。3、4年春はリーグMVP。4年秋の立命大戦で無安打無得点試合。06年大学・社会人ドラフト希望枠でソフトバンク入団。1メートル75、86キロ。左投げ左打ち。

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