青木の恩師振り返る…大学当時は引っ張り一辺倒「一番怒った選手」

[ 2014年10月17日 08:33 ]

祝勝会でシャンパンをかけられる青木(中央)(AP)

ア・リーグ優勝決定シリーズ第4戦 ロイヤルズ2―1オリオールズ

(10月15日 カンザスシティー)
 「2番・青木」の原点は早大時代にあった。当時の監督である野村徹氏(77)は「一番怒った選手」と笑い、入学当時は引っ張り一辺倒だった教え子を振り返る。

 「飛ばす力はあったけど、青木の役割はいかに出塁するか。“つなぐ人間も必要なんだ”とよく言いましたね」

 同期に不動の3番・鳥谷(現阪神)がおり、その前を打つチャンスメーカーの重要性を説いた。さらに、ムラのあった精神面についても「集中力が備われば上でもできると思った。メンタル面や一球に対する集中力ということをよく教えた」。絶不調に陥った今年の6月には電話でアドバイスを求められ「初めての(ア・)リーグで、よくやっている。自分を信じてやれ」と語り掛けた。

 当時は和田(現カブス)、鳥谷、田中浩(現ヤクルト)ら甲子園組が名を連ねる中、野球では全国的には無名の宮崎・日向高出身。12年のブルワーズ移籍時も公開練習を要求されるなどの屈辱を味わった。「青木は甲子園組に負けないんだという反骨心が支えていた。(移籍時に)反骨心が出たので、あれはあれでよかった」と感慨深げ。この日は午前5時から大阪市内の自宅でテレビ観戦し「いい表情をしていたね」と声を弾ませた。

 ▼阪神・鳥谷 優勝おめでとうございます。ワールドシリーズも頑張ってほしいです。

 ▼延岡星雲・森純雄監督(56=日向時代の恩師)負けていないのは凄い。世界一になってリングを見せてもらいたいですね。大したものです。

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2014年10月17日のニュース