稲葉 球場一体のジャンプでお別れ「悔いなき20年間」に感謝

[ 2014年10月6日 05:30 ]

<日・楽>胴上げされる稲葉

パ・リーグ 日本ハム1―0楽天

(10月5日 札幌D)
 最後まで全力疾走だった。日本ハムの稲葉篤紀外野手(42)が5日、今季最終戦となった楽天戦で引退試合に臨んだ。「5番・右翼」で先発すると2回からは一塁を守り、試合は1―0で勝利。「稲葉ジャンプ」や「5人の監督全てを胴上げ」など名場面を残した男は3打数無安打に終わったが、この日も全力プレーで4万1208人を魅了した。また先発の大谷翔平投手(20)が公式戦最速タイとなる162キロを4度マークし、花を添えた。
【試合結果】

 初めて見る景色に、新たな感動があった。試合後の引退セレモニー、スポットライトを浴びながら左打席に立った。ファンファーレを合図に、超満員のスタンドが揺れる。稲葉はバットを手にぐるりと見渡した。

 「試合では一塁側を見ることができない。360度、本当に“稲葉ジャンプ”をしている。こんな応援をしてもらえる選手は今までいたのかな」

 ナインの手で宙に10度舞い、すがすがしい表情を浮かべた。「全力疾走でここまでやってきた。稲葉篤紀に悔いなき20年間、最高の20年間をありがとうございました」。スピーチの言葉が示すように、最後まで全力でプレーした。

 「5番・右翼」でのスタメンを志願した。「守備位置が遠かった」と苦笑いするが、初回限定ながら定位置まで恒例の全力疾走を披露した。2回から一塁へ回り、9回にはフェンス際まで一邪飛を追いかけてキャッチした。3度の打席は全て「稲葉ジャンプ」で迎えられたが、快音を響かせられなかった。それでも笑顔だった。

 努力でここまで来た。中京(現中京大中京)では甲子園に出場できず、法大でも最後の4年秋にようやくリーグ優勝。ヤクルトでは1年目から日本一も古田、池山、飯田がいた。同期入団の宮本と神宮の室内練習場で連日、早出特打を行い、涙を流しながらバットを振ったこともあった。先輩たちからは「ナッパ」と呼ばれ、メーンディッシュの端に添えられた野菜のように、当時は単なる脇役でしかなかった。

 そんな男が北海道で大輪を咲かせた。首位打者を獲得し、通算2000安打も達成した。09年WBCでは世界一にも輝いた。引退表明後は、どこの球場でも「稲葉ジャンプ」が起こった。ファンに楽しんでもらおうと、あえて初球を見送ってきた。そんな気遣いも、ファンから愛される理由だ。

 4月に誕生した遥篤(はると)くんには「オマエが俺に花束をくれるのか?」と赤ちゃん言葉で語りかけたこともあった。この日は怜奈夫人と2人から花束を贈られた。その夢はかなったが、もう一つ夢がある。「日本シリーズに出れば、札幌ドームに戻ってこられる。栗山監督を男にしたい」。もう一度、「稲葉ジャンプ」の中で札幌ドームの打席に立ちたい。稲葉の現役生活は終わっていない。

 ◆稲葉 篤紀(いなば・あつのり)1972年(昭47)8月3日、愛知県生まれの42歳。中京(現中京大中京)から法大に進み、94年ドラフト3位でヤクルトに入団。04年オフにフリーエージェントを行使して日本ハムに移籍。06年に日本シリーズMVP。07年には首位打者、最多安打のタイトルを獲得した。12年4月28日楽天戦で通算2000安打を達成。08年北京五輪、09、13年WBC出場。1メートル85、94キロ、左投げ左打ち。血液型O。

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