ソフトB松田 史上初!最終戦サヨナラV「食らい付いていった」

[ 2014年10月3日 05:30 ]

<ソ・オ>サヨナラ打を放ち大喜びの松田(左)とソフトバンクナイン

パ・リーグ ソフトバンク2-1オリックス

(10月2日 ヤフオクD)
 ソフトバンク・松田は外角低めのスライダーに必死に食らい付いた。10回1死満塁。4球目を捉えた打球は左中間で弾んだ。サヨナラだ。歓喜の輪の中で、松田の雄たけびが誰よりも大きく響き渡っていた。

 「つないでくれた前の打者の気持ちを、チーム全員の気持ちを忘れずにいった。今年最後の打席、と思って食らい付いていった」

 新選手会長としてV奪回の重責を背負った。とことん苦しみ抜いた最後の9月。「正直、プロに入って一番苦しい9月だった」。ベンチを出た秋山監督と真っ先に抱擁を交わすと、涙が止まらなかった。「急にふっと力が抜けて。涙は出さないと思っていたけど…」。秋山監督、孫正義オーナーの胴上げに続き、松田の体が背番号と同じ5度、ヤフオクドームに舞った。

 誰よりも元気にチームを引っ張った。連敗が重なった9月も「明るい選手が元気をなくすと、周りも心配する。ベンチで一番声を出し続けようと」と決して下を向かなかった。7月2日のロッテ戦(ヤフオクドーム)の試合前の守備練習で打球を患部に当て、右手人さし指を骨折。それでも歯を食いしばって2安打2打点。お立ち台にも立ち、脂汗を流しながらファンへ笑顔で声を張り上げた。約2カ月の戦線離脱。もどかしさを募らせながらも、歴代選手会長の本多、川崎らにはない、新たなリーダー像を模索した。「自分は人としゃべることに恥ずかしさはないし、それは長所。他人にはない元気はある」。身上である元気を前面に出して、ナインを引っ張った。

 9月21日には第2子となる長女が誕生。「1人目も優勝した時(10年10月)に生まれたし、今年も優勝できた。そこも力になった」。5月13日のロッテ戦でのプロ野球通算9万5000号、9月10日の日本ハム戦での球団通算8000号に続き、シーズン最終戦でリーグVを決めるサヨナラ打と、最後もメモリアル打で勝負強さと存在感を見せつけた。

 「キャンプ初日から12球団で一番明るく元気に野球をする、というスタイルでスタートした。144試合終わり、一番元気を出して頑張れたチームだと思います」。選手会長として、主砲として駆け抜けた末にたどり着いた頂点。「必ず日本一になります」との言葉とともに、松田は誰よりも元気に胸を張った。

 ≪リーグ最終戦でサヨナラV≫ソフトバンクは延長10回サヨナラ勝ち。リーグ優勝決定日にサヨナラ勝ちは、09年日本ハム以来10度目(06年プレーオフ第2Sの日本ハムは除く)。ソフトバンクでは前身球団を含め初めてだ。また、ソフトバンクはチーム最終試合でのV。2リーグ制後、チーム最終戦に自力で勝って優勝を決めたのは94年巨人以来8度目(パでは52年南海、63年西鉄に次いで3度目)。こうしたケースでサヨナラ決着は今回のソフトバンクが初めてだ。

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