里崎 史上初引退リサイタル「こんな選手いないでしょ」

[ 2014年9月29日 05:30 ]

<ロ・オ>球場正面のステージで歌う里崎

パ・リーグ オリックス2-4ロッテ

(9月28日 QVC)
 まさに「里崎劇場」だ。引退セレモニーを終えたロッテ・里崎はQVCマリン正面のステージに移動すると、マイクを手に取って歌い始めた。

 「終電までに終わりますから。一緒に歌いましょう!」。1曲目は球団公式ソング「ウィー ラブ マリーンズ」。ステージを縦横無尽に走り回った。2曲目の「千葉こころつなげよう」を歌い終えると、ステージに集まった5500人からのアンコール。最後はSMAPの「ありがとう」を熱唱し、「引退リサイタル」を締めくくった。

 「最高だね。こんな形で引退する選手いないでしょ。最後に伝説をつくってやりましたよ」。9年ぶりのステージだった。05年4月9日日本ハム戦の試合後に、球場正面ステージで歌を披露したファンサービスは、今でもロッテファンの語りぐさになっている。12日の引退会見でも「最後も自分らしく好き勝手やりたい」と宣言。有言実行のサプライズ演出には、ファンへの感謝の気持ちと、後輩たちへのメッセージが込められていた。

 「野球選手は野球だけをやっていればいいわけじゃない。できる限りのファンサービスで野球以外の部分でも楽しんでもらわないといけない」。引退試合には今季最多の3万76人の観衆が駆けつけ、満員となった。「こんな大声援の中で野球ができて、本当に幸せでした」。1番・DH。プロ16年目、通算1089試合目で初の打順で出場し、2打席連続で三振に終わった。打席では目に涙を浮かべ、持ち前のフルスイングを披露した。

 引退セレモニーでは「きょう、プロ野球選手を卒業します」と涙のあいさつ。胴上げで5度宙に舞った。05、10年の日本一パレードのように、紙吹雪が舞う中で球場を一周。「定位置」で深々と頭を下げ、ホームベースにかぶった土を手で払って、別れを告げた。

 いっぱい泣いた。いっぱい歌った。98年にプロ野球ワースト記録の18連敗を喫した翌年に入団。2度の日本一に導いた正捕手は完全燃焼した。

 ◆里崎 智也(さとざき・ともや)1976年(昭51)5月20日、徳島県生まれの38歳。鳴門工から帝京大に進み、2年秋のリーグ戦で4試合連続本塁打。98年に逆指名となるドラフト2位でロッテ入団し、05、10年の日本一に貢献した。06、07年にベストナインとゴールデングラブ賞を受賞。06年の第1回WBCでは正捕手としてベストナインを獲得し、初優勝に導く。08年北京五輪に出場。1メートル75、94キロ。右投げ右打ち。

 ▼ロッテ・福浦 寂しくなってしまいますね。あれだけしゃべるやつがいなくなるんだから。ずっと一緒にやってきた仲間で、本当に数え切れない思い出がある。

 ▼ロッテ・サブロー 里崎とは戦友。あいつが捕手として固定されてからチームが強くなった。同級生ということもあって刺激は受けていた。寂しいけど、自分はあいつの分もできるだけ長くやりたい。

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