わずか開幕3戦目で…西岡離脱で崩れた和田監督の新打線構想

[ 2014年9月28日 10:33 ]

3月30日の巨人―阪神戦で西岡(手前)と福留が激しく交錯

 9年ぶりのV奪回を至上命題としながら、今季の阪神は開幕から一度も首位に立つことなく終戦。昨年に続く9月の失速ぶりも目立った。V逸の要因を徹底検証する。

 阪神・和田監督が描いていた構想が開幕3戦目にして崩れた。昨季のチーム得点数はリーグ5位の531点。V奪回を逃した要因の一つが得点力不足だった。その反省を踏まえて打線強化に着手。新戦力のゴメス獲得に加えて打線を組み替えた。

 「去年の反省があった。得点力を増やす。それが一番だった。いろいろ話し合った中で決めたのが開幕の打順だった」

 あるチーム関係者が開幕オーダーが決定した理由を明かした。得点力アップの秘策。それが1番・鳥谷、3番・西岡だった。13年の出塁率・402の1番、ポイントゲッターとしての役割に加えて小技にも対応できる3番。打撃コーチ時代の経験に加えて選手の特徴を把握した結果の決断だった。

 しかし悪夢がすべてを打ち砕いた。3月30日、巨人との開幕カード3戦目(東京ドーム)でアクシデントが発生した。2回、大竹の二塁後方への飛球を追った二塁手・西岡と右翼手・福留が激しく激突した。グラウンドから救急車で病院に直行した西岡は鼻骨骨折、左肩鎖関節の軽い脱臼に加えて左右の第一肋骨(ろっこつ)骨折などで長期離脱。1軍復帰までに約3カ月も要した。指揮官の肝いりだった攻撃オーダーは、わずか3試合で終わった。くしくも西岡を欠いた翌日4月1日・中日戦(京セラドーム)では今季初の完封負けを喫した。

 「投手陣の故障も痛かった。その中でも松田のケガは一番。ビハインドの展開から入って、将来的には(勝ちパターンの)セットアッパーとして起用しようと考えていたからな。結果的に松田の代わりが課題となった」

 投手陣の故障について言及した別のチーム関係者は松田の離脱がチーム成績に響いたと振り返った。最速152キロの速球を武器にプロ2年目の昨季は27試合に登板するなど存在感を示した。勢いある若手の台頭に首脳陣も大きな期待を寄せていた。守護神・呉昇桓(オスンファン)へとつなぐ必勝リレー、福原、安藤に続く中継ぎとしての起用を決定した。しかし春季キャンプ中に右肘痛を発症し、結果的に1軍初登板は134試合目の9月19日。松田の出遅れによって福原、安藤らの負担が増したことは明確だった。首脳陣にとっては松田離脱が大きな誤算となった。

 さらに5月には上本が右手親指の末節骨骨折、7月には大和も左腹斜筋の筋挫傷で戦列を離れた。トドメは「勝負の9月」を前に新井良が腰痛を発症し離脱。9月13日には今成が右脇腹を痛めて抹消された。球団関係者は「シーズンを通してベストメンバーでは戦えない。それは想定内。ただ代わりがいないポジションの選手の離脱は痛かった」と悔しがった。度重なる主力選手の故障が勝敗を左右したことは事実。故障者の続出が和田阪神の運命を変えてしまった。

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2014年9月28日のニュース