原監督泣いた!V3 4番7人、105通り“日替わり打線”の苦闘

[ 2014年9月27日 05:30 ]

<D・巨>8度舞った!3年連続36回目のセ・リーグ制覇を決めた巨人・原監督をナインが胴上げ

セ・リーグ 巨人6-3DeNA

(9月26日 横浜)
 舞った。そして、泣いた。マジックを2としていた巨人は26日、DeNAを6―3で下し、2位・広島が阪神に敗れたため3年連続36度目の優勝を決めた。1リーグ時代の9度を含めると通算45度目で、09年以来の3連覇。自身7度目の優勝を飾った原辰徳監督(56)は今年5月に心不全で亡くなった父・貢氏(享年78)に涙の報告を行った。巨人は2年ぶりの日本一奪回を目指し10月15日から始まるクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージでファーストステージ勝者と日本シリーズ出場権を懸けて対戦する。

 優勝が決まると同時にこみ上げてくるものがあった。歓喜の輪。原監督は大きく息を吐き、必死にこらえようとした。でも止まらない。声を詰まらせた。目いっぱいに涙をためて、一生懸命、言葉を紡いだ。

 「(今年5月に)父が他界して…。この横浜スタジアムで胴上げできたことを、大変喜んでいると思います」

 マジック2で迎えた一戦。4回に亀井の右前適時打などで3点を先制し、6回にも2発で3点を加点。先発・内海も7回2/3を3失点と粘った。迎えた9回2死。2位の広島の敗戦をベンチ裏のスタッフが大声で叫んだ。その2分後、歓喜の瞬間が来た。マシソンが桑原を三振に斬り捨てる。胴上げは8度。今年の5月29日、心不全のため78歳で死去した父・貢氏に語りかけるように、指揮官は真っすぐ空を見据えて舞った。「神奈川、特に横浜スタジアムは高校野球のメッカ、聖地。父が見ているとするならば喜んでいると思う。記憶に残る胴上げです」と感慨にふけった。

 父は人生の師だった。食事をしながら、何げない言葉にヒントを見つけ、答えを導き出していた。その日常が消えた。都内の自宅の自室には、父の遺影が飾られた。「オヤジさん…」。代わりに父との対話が日課に加わった。「不思議なんだよなあ。亡くなってからの方が会話が増えたんだ」。気づけば独り言が口をつく。生前の時よりも、具体的で、直接的な言葉が増えた。

 「父にこうしろ、ああしろ、駄目だ、と言われたことがないんだ」。東海大相模、東海大で父子鷹と言われた。厳格なグラウンドでの姿とは裏腹に自宅での姿は違った。通信簿も見せたことはない。小学生の時のそろばん塾、中学での英語教室。すべて自分で決めた。父はうなずくだけだった。勝負への執念と、その裏にある愛情。途中交代を命じた選手たちを翌日、ベンチ裏で直接打撃指導する。交代の理由は言わない。1対1で向き合う時、「いいぞ」「これを続けていこう」。父の姿がだぶった。

 7月14日のお別れの会の祭壇には、貢氏の人生訓である「動」と「和」が掲げられた。2年ぶりの日本一を目指した今季はこの2文字を象徴する戦いだった。阿部が打率2割台前半、村田も昨年のような勝負強さはなかった。「勝ったチームというものは必ず衰退する」。そう悟った。ならば、全員で一つの軸を作る。束ねたのは自らの「動」の采配だった。

 3月30日の阪神戦(東京ドーム)、開幕3戦目に1番の坂本を7番に下げるなど6人の打順を入れ替えた。ある選手は「今振り返ると、“今年は動く”という監督の決意表明だった」と言う。組んだ打順は105通り。エンドランは300回を超えた。「日替わり打線」。周囲の批判の声も受け止めた。だが「選手は必ずついてきてくれる」。選手の心の強さを最後まで信じ抜いた。指揮官の姿勢に吸い寄せられるように、選手は結集した。負ければ同率首位か首位陥落の試合に6戦6勝。9月の広島、阪神を相手に8勝1敗。全員が主役であり脇役となった。「和」の戦いだった。

 22日の名古屋への移動日。都内にある父の墓前に花を供え、手を合わせた。それから4日後、自身7度目のリーグ制覇を果たした。球団創設80周年。あくまで日本一奪回が至上命令である。

 「(父は)まだまだというふうに言っていると思います。今度はクライマックスでセを代表するチームになる。さらに強いジャイアンツを目指し、ひと山、ふた山乗り越えていきたいと思います」

 団結力を武器に新たな歴史をつくる。涙の代わりに、目は決意に満ちあふれていた。

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