原監督 ハマで男になる!V弾から25年、今度は監督として

[ 2014年9月26日 05:30 ]

<中・巨>先発・セドンの乱調に首をかしげる原監督(右)

セ・リーグ 巨人4―5中日

(9月25日 ナゴヤD)
 舞台はナゴヤから25年ぶりのハマスタへ。優勝へのマジックナンバーを「2」としていた巨人は25日、中日に4―5で逆転負け。初回に坂本勇人内野手(25)の適時打などで2点を先制したが、先発のクリス・セドン投手(30)が3回途中4失点でKO。終盤の反撃も及ばなかった。2位広島が勝ったため、優勝マジックは「2」のまま。26日のDeNA戦(横浜)で巨人が勝つか引き分けて、広島が阪神に敗れると、巨人のリーグ3連覇が決まる。 
【試合結果】

 名古屋で決められなかった。それでも敵地での中日3連戦に勝ち越して、着実にゴールは近づいている。原監督も泰然としていた。

 「一足飛びにはなかなかいきません。一戦必勝という中で、あした戦っていきたい」

 2―4で迎えた7回1死満塁の守備。平田の打球は右翼への邪飛となったが、橋本は敢然と捕球した。結果、タッチアップから三塁走者の生還を許したが、川相ヘッドコーチは「あそこは1点を防ぎにいった。捕れという指示だから。結果は仕方がない」と説明。勝利へのタクトを攻守両面で見せたが、1点が届かなかった。

 優勝の懸かる一戦でも指揮官は努めて冷静だった。13日のDeNA戦(東京ドーム)で右足首付近に自打球を当てたことも含め、体調面を考慮して、主将の阿部を2試合連続で先発から外した。右膝に不安のある長野や、村田も途中交代させ、控えメンバーを含めた総力戦で戦った。8回には途中出場の大田が左中間適時二塁打を放った。簡単には負けない。普段通りの戦いだった。

 歓喜の舞台は26日から横浜へと移る。相手は現役時代にチームメートだった中畑監督率いるDeNA。巨人の横浜での優勝決定は1989年までさかのぼる。不思議な因縁だろうか。同年の優勝決定試合では、原監督が決勝アーチを描いた。そして、中畑監督はこの年に現役を引退。代打で二塁打を放ち、試合後は胴上げされた。同年にチーム事情で三塁から左翼にコンバートされた原監督は当時、「今までで一番うれしい優勝。藤田(元司)監督が来られてキャンプから一生懸命ついてきた」と言った。25年前、喜びを分かち合った2人が両軍の将として対峙(たいじ)する。

 11年オフに横浜からFA移籍した選手会長の村田も「僕は優勝したいと思って横浜を出た。その場所での胴上げとなれば、自分にとっても特別なものになる」と語った。

 5月に心不全のため死去した原監督の父・貢氏(享年78)は、東海大相模の監督を務めた70年に夏の甲子園を制し、その名を全国にとどろかせた。神奈川は原監督にとっても、東海大相模、東海大で亡き父と過ごした思い出深い地である。

 原監督は「阿部はもういいと思います。あすはスタメン、キャッチャーでいきますよ」と会見を締めくくった。その阿部も「またあした。出て決めたいですね」。V3の舞いに主役もそろった。足踏みはもういらない。26日こそ決める。

 ▽89年巨人の優勝 優勝マジック1で迎えた10月6日大洋戦(横浜)。巨人は0―0の7回、5番・原が均衡を破る25号2ラン。8回にはこの年が現役最終シーズンとなった中畑(現DeNA監督)が代打で二塁打を放ち、スタンドは大きく沸いた。投げては宮本が完封し、5―0の勝利で2年ぶり優勝が決定。就任1年目(2期目)の藤田監督が横浜の空に舞った。

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