大阪桐蔭・福島の118球 江夏とダブったスクイズ外し

[ 2014年8月26日 05:30 ]

<大阪桐蔭・三重>7回1死三塁、大阪桐蔭・福島(左)は三重・宇都宮のスクイズを外す

第96回全国高校野球選手権決勝 大阪桐蔭4―3三重

(8月25日 甲子園)
 校歌が流れる間、あふれるうれし涙をぬぐい続けた。大阪桐蔭の福島は「歌いたかったけど、歌えなかったです」と喜びに浸った。

 試合前。三塁側ブルペンに向かう背番号1の姿に甲子園がざわつく。戦前の大阪桐蔭の先発予想は大方が2年生左腕の田中。しかし、前日の準決勝・敦賀気比(福井)戦で160球も投げた右腕が連投でマウンドへ。「奇襲先発」ともいえた。

 「ブルペンから肩が重かったけど、そんなことは言っていられない。みんなのために頑張ろうと思った」

 前夜。宿舎で西谷浩一監督に呼ばれた。

 「あした(25日)、どうや?」

 「行きます」

 2日連続の先発は「人生初」だった。疲労が残る中、懸命に腕を振った。だが、直球は140キロをすべて下回る。2回に2点を失い、同点の5回には再び勝ち越しを許した。それでも、制球に細心の注意を払い、踏ん張り続けた。

 7回1死三塁。3番・宇都宮を迎えた。1ボールからの2球目、走者がスタートを切るのが見えた。カットボールの握りのまま、とっさに外角に大きく外した。「走者も見えたし、打者が(バントを)構えるのも見えた。初めての経験だったが、横井(捕手)が“捕ってくれる”と信頼していた」。あの江夏豊ばりに高度な観察眼と技術が詰まったウエストボール。見事に走者を三本間に挟んで相手の好機をつぶし、その裏の逆転につなげた。

 08年夏の優勝投手も自身と同姓の福島由登(現Honda)だった。昨年11月に同校グラウンドで対面し「福島さんみたいな投手になりたい」と決意した。入学時は捕手だった男が、投げっぷりの良さを買われ投手に転向した。ただ、春夏連覇した2年前はスタンドで声をからして応援し、昨年は背番号「16」で甲子園で出番はなかった。

 「投手として甲子園に行くとは思ってもなかったし、僕なんかが大阪桐蔭の背番号1をつけていいのか、という戸惑いもあった」。藤浪(現阪神)のような剛球はなくても、4試合で完投したサイドスローが最終学年で日本一の原動力となった。

 ◇江夏の21球 1979年11月4日、3勝3敗で迎えた近鉄―広島の日本シリーズ第7戦(大阪)。広島の守護神・江夏豊は4―3の9回に無死満塁のピンチを招いた。1死後、石渡への2球目の際、スクイズの動きにとっさに反応し、カーブの握りのまま高めに外して空振りを奪い、三塁走者は三本間でタッチアウト。続くピンチも無失点で切り抜け日本一を勝ち取った。この回に江夏が投じた球数から、のちに「江夏の21球」と呼ばれた。

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