甲子園名物、校歌斉唱誕生秘話~きっかけは女性初の五輪メダリスト

[ 2014年8月24日 07:59 ]

2回戦で東海大望洋を破り校歌を歌う城北

 「高校野球・甲子園」といって思い浮かべるさまざまな風景。その中でも、試合終了の校歌斉唱シーンをあげる人は多いだろう。今大会も「Be together」でおなじみとなった健大高崎が出場し話題となった。だが、意外なことに、甲子園が始まった当初は、校歌斉唱は行われていなかった。

 はじめて甲子園で「校歌斉唱」が行われたのはセンバツが先。1929(昭和4)年の第6回選抜中等学校野球大会から採用された。勝利校に校歌斉唱を、と提案したのは、日本人女性初の五輪メダリストである人見絹枝氏(故人)だ。

 1928(昭和3)年のアムステルダム五輪で陸上・女子800メートルに出場し、銀メダルを獲得した人見氏は、表彰式で金メダルを獲得した選手の国歌が流れたことに、いたく感銘。その体験をもとに甲子園での校歌斉唱を提案し、翌春のセンバツ大会から採用されたのだ。

 一方、夏の大会で導入されたのは、遅れること28年後の1957(昭和32)年から。そして、勝利校の校歌斉唱が定着すると、甲子園で勝つことを「校歌を歌う」と表現されるようになった。

 しかし、せっかく厳しい地方大会を勝ち抜いて甲子園の舞台に立っても、出場校の半分は校歌を歌えぬまま甲子園を去らなければならなかった。そこで1999(平成11)年のセンバツからは、2回の表と裏に両チームの校歌を場内放送で流すことが慣例化。この大会以降は、春・夏を問わず、全ての甲子園出場校の校歌を耳にすることができるようになった。

 ちなみに、世の中には校歌をもたない高校がいくつか存在する。もし、校歌がない高校が勝利した場合、校歌斉唱はどうなるのか? 答えは明確に規定されていて、大会歌である「栄冠は君に輝く」が校歌の代わりとして演奏される決まりになっている。(『週刊野球太郎』編集部)

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