グラブにも名前が…松井裕 白血病闘病中の親友にささげる白星

[ 2014年8月14日 14:00 ]

松井裕と桐光学園野球部同期の小国颯外野手。闘病生活で現在も同校3年に籍を置く

パ・リーグ 楽天7-4ソフトバンク

(8月13日 ヤフオクD)
 待望のプロ先発初勝利を挙げた楽天・松井裕が、母校の桐光学園野球部・小国颯外野手(3年)に感謝の思いを伝えた。2人は11年4月に同校入学。同じクラスだった。入学後に白血病を患った小国は、闘病生活で現在同校3年に籍を置き、今夏は神奈川大会準々決勝で敗退したチームを支えた。松井裕はいつの日か、無二の親友の前で勝利投手となることを約束した。

 松井裕にとって小国は特別な存在である。プロ入り後に新調したグラブには「航翔中慎悠草孝颯 野石脇天 感謝」の文字が入っている。最初の8文字は大事な友人、次の4文字は恩師の名前の1文字だ。「颯(はやと)」は小国の名前だ。

 「自分たちの代ではノッカーをやってくれていた。だから、最後の夏も甲子園でノックを打たせてあげたかった…」

 昨年7月25日。同校3年だった松井裕が神奈川大会準々決勝・横浜戦で2本塁打を浴び、甲子園出場の夢が絶たれた日。試合後に号泣した一番の理由は、そこにあった。今年6月の小国の誕生日にはサングラスをプレゼント。「めっちゃ喜んでました」と頬を緩めた。

 もちろん、小国にとっても、松井裕は生涯の友だ。「今はプロ野球選手だけど自分にとっては一緒に野球をした仲間」。小国が異変に襲われたのは11年5月。甲子園出場を夢見て入学した直後だった。

 「ちょっと体がだるくて…。病院をいくつか回っていたらリンパ節が腫れていた。その後、手術してから急性リンパ性白血病が判明しました」

 6月に入院。翌12年1月に移植手術を受けた。同7月に桐光学園が夏の甲子園出場を決めた際は都内の病院に入院中。松井裕の甲子園での快投は都内の自宅で見守った。

 「松井は別人のように輝いていた。入学時からいい投手だったけど、あの夏で化けましたね。でも、あれだけ騒がれたら普通はてんぐになるのに何も変わらない。それが松井のいいところです」

 マウンドでの闘志あふれる姿と、校内での松井裕はイメージが違う。

 「教室ではうるさい。たわいもない話を、ずっと一人でしゃべっている。休み時間に他人が寝ていると頭を叩いたり、体を揺すったりして起こす。逆に自分が寝ているのを起こすと凄く怒る。厄介な男です」

 そう笑った小国が部活動に復帰したのは昨年2月。入学時に70キロ近かった体重は闘病生活で55キロに減っていた。「退部するかを考えている時、松井ら野球部の同期が“みんな待っているよ”と色紙に寄せ書きしてくれて…」。いつでも、心は一つだった。

 今夏、神奈川大会のベンチ入りメンバーから外れた小国は6月14日の玉川学園(東京)戦に「1番・DH」で出場。最終打席に左翼線二塁打を放った。その後、同大会では試合前に外野ノッカーを務め、試合中はスタンドで応援。チームは惜しくも準々決勝で横浜隼人に逆転負けを喫したが、「2度目の3年の夏」を完全燃焼した。今後は都内の大学進学目指して受験勉強にいそしむという。

 「プロ野球は9、10月もやってますから、小国の前で投げて、さらに勝てるようにしたい。彼とも約束しています」

 これから先、松井裕はいくつもの勝利を病と闘う親友に贈り続ける。

 ◆小国 颯(おぐに・はやと)1995年(平7)6月13日、東京都生まれの19歳。小1から四谷スワローズで軟式野球を始め、ポジションは投手。硬式は外野手となった中学時代の麻生ジャイアンツから。桐光学園では外野手としてプレー。家族は両親と姉。1メートル68、55キロ。右投げ右打ち。

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