佐野V打…春日部共栄 8回6点逆転!聖地で「笑顔届ける」

[ 2014年7月28日 05:30 ]

<市川越・春日部共栄>優勝した春日部共栄ナインが歓喜の輪を作る

埼玉大会決勝 春日部共栄7―2市川越

(7月27日 県営大宮)
 力ない二ゴロを丁寧にさばいた。一塁へ送球すると、春日部共栄の佐野は全速力でマウンドに駆け寄った。「この夏は堂々とプレーしようと思っていた。甲子園は子供の頃からテレビで見ていた。夢みたいです」

 背番号14を背負った左打ちの3年生。前日の準決勝・大宮東戦は左投手のためスタメン落ちしていた。迎えた決勝戦、市川越の先発は左腕・上條だったが、「2番・二塁」に抜てきされた。初回に遊撃内野安打を放つと、5回には右中間を破る同点二塁打。2―2の8回2死満塁ではフルカウントからの7球目を中前に運ぶ決勝打。4安打3打点の大暴れに「左投手は苦にならない」と胸を張った。

 昨秋の準決勝では市川越に0―1で敗戦。佐野は出場機会がなく「悔しい思いだけ。冬はずっと体を強化して打球を強くしようと思った」。60キロを上げるのがやっとだったベンチプレスは90キロをクリアするようになった。決勝当日は早朝5時30分から打撃練習をこなし、大舞台の切符を引き寄せる快打を連発した。

 昨秋の敗戦後、本多利治監督は選手を集めた。「決まり事をしっかりできるまで、俺はグラウンドに出ない」。あいさつなどの礼儀、授業中の態度、野球道具の準備…。ナインは私生活から見つめ直し、自主的にミーティングを重ねた。ひたむきに取り組む姿に、指揮官は約2カ月後にグラウンドに戻った。

 8回に6安打を集中し逆転勝利。05年以来9年ぶりの甲子園に、本多監督は「まさか8年かかるとは…。(甲子園は)ふるさとに帰る感じ」と喜んだ。今夏のテーマは「笑顔を全国の人に届けよう」だった。春日部共栄ナインは、甲子園でも野球を楽しむ。

 ◆佐野 尚輝(さの・なおき)1996年(平8)11月28日、埼玉県生まれの17歳。小1から八幡木少年野球チームで野球を始める。川口八幡木中ではオール草加ボーイズに所属。春日部共栄では1年秋からベンチ入り。好きな選手は阪神・鳥谷。1メートル78、70キロ。右投げ左打ち。

 ▼西武・小林宏(96年度卒OB)久々の出場をとてもうれしく思います。甲子園で一つでも多く勝てるように頑張ってください。

 ▼日本ハム・中村(09年度卒OB)同級生が結果を教えてくれていて、気にしていました。一日でも長く甲子園で野球をしてほしい。

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