岩瀬 400Sも落合GMから電話「分かっているな?」

[ 2014年7月27日 05:30 ]

<中・巨>通算400セーブを挙げ、谷繁兼任監督(左)と笑顔で握手をする岩瀬

セ・リーグ 中日7-5巨人

(7月26日 ナゴヤD)
 阿部に投じたスライダーが谷繁監督のミットに収まると3万8116人の大歓声が響き渡った。中日・岩瀬が前人未到の頂に立ち「あっという間だった。よくここまできたな」と少し照れたような表情を浮かべた。

 あと一つに迫った23日のDeNA戦(横浜)から中2日。3点差で背番号13は「一発で決める」と9回のマウンドに上がった。片岡、亀井を8球で片付けた直後に3連打を浴びて1点を失う。「少し慌てた。こけちゃった」。最後の1球はつまずいてグラブをはめた右手を地面に突きながらの体勢で放ったが、「入ったころからの生命線」という球種で決めたことは格別だった。

 11月に40歳を迎える。それでも、常に新たな挑戦を続ける。昨春キャンプでは、それまで走者の有無にかかわらずセットポジションで投げていたが、「ランナーなしの時の被打率が高いから」と力強い球を求めてノーワインドアップも試すようになった。そして、今年1月の自主トレでは理想のフォームが垣間見え「プロになって初めて野球が楽しい」とも語った。

 ただ、シーズンに入って、経験のない困難に直面した。「非常にリズムがつかめないというか、なかなか自分自身が流れに乗れていない」。16年目は戸惑いのシーズンとなっている。開幕戦でいきなり救援に失敗し初黒星を喫すると、そこから登板機会に恵まれなかった。初セーブはチーム9試合目、5セーブを挙げるまでには実に45試合を要した。9年連続30セーブ、1年目から15年連続50試合登板のプロ野球記録を継続中の左腕にとって、異例の遅いペース。「今までは投げすぎての苦しさは分かっていたけど、投げられない苦しさはあまり分かっていなかった」という。

 プロ生活16年の年月をかけて積み上げた偉大な記録の達成は、初セーブと同じナゴヤドームで同じ巨人から挙げた。試合終了直後、落合博満GMから電話があった。まずは「おめでとう」とねぎらわれたが、すかさず「ただ、分かっているな?」と念を押された。「500セーブということでしょ。今は自分のゴールが一体どこなのかなと思う時があるけど、あしたからまた401セーブを目指して頑張る」。球史を塗り替え続ける守護神。代わりがいないことは誰よりも自覚している。

 ▼巨人・阿部(9回2死二、三塁から岩瀬に空振り三振)最後は“魔球”が来た。向こう(岩瀬)が(投球後に)ひっくり返ったと思ったら、こっちもひっくり返った。

 ▼中日・谷繁監督 凄い記録としかいいようがない。年齢を重ねてもやることを淡々とやり出番を待つ、これをずっと続けていることが凄い。最後はバランスを崩した。あの映像がずっと残るのは格好悪いな。

 ≪メジャー記録は元ヤ軍リベラ652S≫岩瀬(中)が26日の巨人戦で今季18セーブ目を挙げプロ野球初の通算400セーブを達成した。初セーブは99年6月23日巨人戦。日米通算では佐々木の381セーブ(横浜252、マリナーズ129)が最多で日本人投手で400セーブは岩瀬が初めて。なお、大リーグ記録はリベラ(ヤンキース)の652セーブ。岩瀬の通算登板は885試合。米田(近鉄)949試合、金田(巨)944試合に次ぐ史上3人目の900試合登板にあと15試合に迫っている。

 ◆岩瀬 仁紀(いわせ・ひとき)1974年(昭49)11月10日、愛知県生まれの39歳。西尾東から愛知大を経て、NTT東海(当時)で投手転向。98年ドラフト2位で中日入団。1年目から中継ぎで活躍し、3度の最優秀中継ぎ投手賞を受賞。04年からは抑えに定着し、05年にプロ野球記録のシーズン46セーブを達成。昨季は日本人選手の日米通算最多セーブ記録を更新した。これまで最多セーブに5度輝いている。1メートル81、85キロ。左投げ左打ち。

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