長嶋さん 4三振から56年…“男気”対決「金田さんは打たせようと」

[ 2014年7月5日 05:30 ]

<巨・中>試合前、金田氏(左)との1打席対決で、ボールを前に飛ばす長嶋終身名誉監督

セ・リーグ 巨人4-3中日

(7月4日 東京D)
 伝説の対決が東京ドームでよみがえった。巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(78)と、球団OBで400勝投手の金田正一氏(80)が4日、中日戦の試合前セレモニーで、1打席対決を行った。長嶋氏がデビューした1958年4月5日の巨人―国鉄戦で金田氏に4打席空振り三振を喫してから56年。04年に脳梗塞で倒れてから右半身にまひが残る長嶋氏は、左手一本で力強くスイング。3球目に打ち、大観衆を沸かせた。試合は巨人が中日を4―3で下し白星で両OBの対決に花を添えた。

 燃えた。打った。時空を越え、ミスターのバットが400勝投手の球を捉えた。大歓声が鳴り響く。こんなシーンをもう一度見たかった。

 「金田さんは一生懸命投げてくれた。“打たせよう”という気持ちが顔に出ていましたし、私もいい球を打ちたいという気持ちでした」

 「4番、サード、長嶋」――。打席の背番号3には、かつてと同じオーラがあった。「絶対に打つぞ」。大打者・長嶋の固い決意。対する黄金左腕はマウンドから降りて投げてきた。「危ないから近くでやろう」。事前にそう話し合った。金田氏は「2人の意見が初めて合ったよ」と笑う。約15メートルを隔てての対峙(たいじ)。そこからの3分間は両雄だけの空間だった。

 初球は外角低めにワンバウンドのボール。続く2球目も低く、バットは空を切った。そして運命の3球目。金田氏が「空振りで“ここだな”と思った」というやや内角寄りの高めを左手一本で捉えた。打球はピッチャー返しとなり、遊撃手・坂本が捕球した。「3球目が高めに来たので打つことができた。ピッチャーの頭を越す打球を打つつもりだったけど、ショートゴロだったね。でも、自分ではいい当たりだったと思っています」

 思えば56年前、4打席4三振だったプロデビュー戦。全19球でバットに当たったのは1球(ファウル)だった。思い知ったプロの厳しさ。「カネさんを打たなければ」と必死に練習した。ただ、抑えても抑えてもフルスイングする姿に「いつかは打たれる。凄い打者になる」と金田氏も感じたという。その予感が現実となって今、ミスターは04年の脳梗塞を乗り越え、まだ右手と右足にまひが残る体で400勝左腕のボールを打ち返した。病に倒れて以来、ボールを打ったのは初めてだ。

 この日のため、リハビリに素振りのメニューを組み入れてきた。950グラムのバットで毎日20スイング。昨年5月5日の始球式で愛弟子・松井秀喜氏の投球を空振りし「今度は打つぞ」と誓い、黙々と振り込んだ。この日使ったのは670グラム、左手一本でも振りやすいようにタイ・カッブ式グリップの特注品。全てはファンに「これだけ打てるまで元気になった」姿を見せるためだった。

 「今日はいつもと違う独特の歓声でした。こういう場を設けていただきありがたい」。ミスターの言葉に金田氏も「野球人冥利(みょうり)に尽きる」と呼応した。半世紀を超えてよみがえった名勝負。歓声は鳴りやまなかった。

 ◇58年開幕戦
 (4月5日 後楽園)
国 鉄
 000 000 000 04─4
 000 000 000 01─1
巨 人
 (国)○金田―谷田
 (巨)●藤田―藤尾
 [本]町田1号(国)

 ≪プロの洗礼浴び≫58年4月5日、後楽園で行われた開幕戦で新人の長嶋は金田の前に4打席連続空振り三振。オープン戦19試合で7本塁打を放ち、自信を持って臨んだデビュー戦だったが、いきなりプロの洗礼を浴びた=写真(右)。結局、この年は打率・179と抑え込まれた。しかし、対戦最終年の64年は長嶋が打率・429と圧倒。長嶋の個人投手別本塁打では、金田から放った18本は村山(神)の21本に次ぐ本数だった。

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