交流戦MVP最有力 亀井が語った「2月の骨折があったから…」

[ 2014年6月23日 09:27 ]

真剣な表情でインタビューに答える亀井

交流戦 巨人10-5ソフトバンク

(6月22日 東京D)
 巨人・亀井善行外野手(31)がスポニチ本紙の独占インタビューに応じ、交流戦の戦いを振り返った。2月の沖縄キャンプで守備練習中に右手人さし指を骨折。1軍復帰戦となった5月31日のオリックス戦(京セラドーム)で延長12回に決勝ソロを放ち、交流戦で4度の勝利打点をマークした。MVP最有力候補が、リハビリ期間中の苦悩、そして次の目標となる日本一奪還への意気込みなどを語った。

 ――5月31日のオリックス戦(東京ドーム)で1軍復帰。9回まで金子に無安打に抑え込まれたが、延長12回に馬原から決勝ソロを放った。

 「チームが勝ちたいのは当然だけど、とにかく1本打ちたいな、という気持ちだった。ピッチャーが頑張ってくれたので、ああいう本塁打が出た。たまたま最後の最後で打てたけど、それまではずっと無安打だったので。ピッチャーに感謝ですね」

 ――復帰戦で活躍して、チームの輪に入りやすくなったのでは?

 「いきなりスタメンだったし、貢献したい気持ちが一番強かった。自分の中でも良いスタートが切れたと思う。これ以上ない緊張感でしたから。その中で初戦からあのような試合ができたのは自分の中で大きかった。気持ち的には意外と冷静でした」

 ――2月の春季キャンプ終盤に右手人さし指を骨折。どんな心境だったか?

 「故障した時は情けない気持ちでいっぱいだった。でも、手術が終わると、自分の中でやりたいこと、やるべきことが決まっていた。前を向いて練習に励んでいたのは覚えている。高校球児ではないけど、しっかり走り込んで。そこからスタートしなければいけないと思い、一つずつ順番にやっていこうかなと思っていた」

 ――体が一回り大きくなった。

 「脂肪が落ちて筋肉量が上がった。手術後は一度、体重が4キロ落ちて79キロに。それを戻す意味もあったけど、それ以上に大きくなっていた。84キロぐらいまで。やってきたことは間違ってなかったと思う。食事はいつもと変わらなかったので、走ったり、トレーニングがメーンでした」

 ――アンダーソンの加入などで外野手争いは例年以上にし烈だが、リハビリ中はどんな気持ちだったか?

 「当然、オープン戦や開幕戦はテレビで見ていた。橋本、アンダーソンといて、入る隙もないくらいの外野陣だったけど、僕も10年間の経験上、絶対にチャンスは来ると思っていた。とにかく自分のやるべきことを練習でやって、いつでもいける準備をしようという気持ちだった。心の中で準備ができていたので、すんなり入れたのかなと」

 ――家族の支えは?

 「家族がいることが支えでした。気を使ってくれて、あえて何も言わなかったと思う。1軍にいるとなかなか一緒に生活することもないし、頑張らなきゃいけないなという気持ちはあった。1軍の試合はテレビで見ていた。子供とテレビの取り合いでしたけどね(笑い)」

 ――1軍で日々、首脳陣から指導を受けて好調を維持している。2軍でのリハビリ中に印象に残っている指導は?

 「後藤2軍育成コーチは米国で2年間、コーチ留学をされていろいろと学ばれたので、その話を聞きました。ボールを芯で捉えることに集中すればいいと助言を受けて視界がパッと開けた。芯で打つことしか考えていないので、たまたまだけど良いところで打てているのかなと思う」

 ――交流戦優勝でチームは勢いづいた。今後のシーズンの抱負は?

 「とにかく去年は日本一を獲れなかったので、みんな目標にしている。チーム一丸となって戦った結果、日本一になれればいいなと思います」

 ◆亀井 善行(かめい・よしゆき)1982年(昭57)7月28日、奈良県生まれの31歳。上宮太子3年センバツは初戦敗退。中大4年秋は主将で25年ぶりの東都1部リーグ優勝に貢献。04年ドラフト4巡目で巨人入団。09年WBC日本代表。同年は自己最多の25本塁打、71打点。1メートル78、84キロ。右投げ左打ち。今季年俸は4000万円。

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