マー君 米でも負けない 先頭打者被弾も自分流主張で修正

[ 2014年4月6日 08:15 ]

<ブルージェイズ・ヤンキース>6回を投げ終えアナ(45)を迎える田中

ア・リーグ ヤンキース7―3ブルージェイズ

(4月4日 トロント)
 田中伝説の第2章が幕を開けた。ヤンキースの田中将大投手(25)は4日(日本時間5日)、ブルージェイズ戦でメジャー初登板し、7回を6安打3失点(自責2)で初勝利を挙げた。いきなり先頭打者本塁打を浴びるなど2回まで3失点も、その後は修正能力の高さを発揮。日本人先発投手では9人目の白星デビューで、日米通算100勝をドラフト制以降最速ペースで達成した。

 膝を折りプレートのすぐ右の土を右手でそっとなでた。メジャー初登板。マウンドでの田中の最初の儀式だった。4万8197人の大観衆が見つめる中、第1球は外角低めに93マイル(約150キロ)の直球が決まる。しかし、1ボール1ストライクからの3球目。初めて投げた代名詞のスプリットを、カブレラにいきなり右中間席に運ばれた。

 「こっちのミスを完璧に打たれた」。日本人の先発投手で最初の打者に本塁打を浴びたのは、田中が初めて。さらに2回にも3安打で2点を失い逆転を許した。「試合に入り切れていないという感じが序盤は特にした。緊張というのも集中を邪魔していたのかな」。だが、昨季24勝0敗1セーブの成績を残した「負けない男」はここから修正能力の高さを発揮した。

 悪い流れを断ち切ったのは、自分流の主張だ。3回の自軍の攻撃中、堀江通訳を介して捕手マキャンと言葉を交わした。カウント球にまでスプリットを多用したことで、追い込んでからの勝負が苦しくなっていた。「相談したわけじゃないけど、投げていて感じた。首を振って投げた部分もあった」と、ツーシームを含めた直球系を増やした。3回まで58球のうち34%の20球を投じたスプリットは、4回から7回までは39球中、2割にも満たない7球に激減した。

 これが功を奏した。4回以降は内野安打1本。「やっぱり基本はストレートがあっての変化球。どれだけ真っすぐを意識をさせることができるか」。球数も3回までの1イニング平均19・3球に対し、4回以降は9・8球とリズム良くアウトを重ね、7回を97球で投げ終え、白星を手にした。

 キャンプでの経験も生きた。渡米後、田中を最も苦しめたのは軸足の痛み。3月上旬以降、右足親指の付け根の側面に痛みが走った。日本よりマウンドが硬いため、重心がかかる場所だけが掘れ、くぼみができる。その段差に親指の側面が擦れるのが原因だった。「力を逃がして投げたくなるくらい痛かった」。スパイクの親指部分を補強しても効果がなかったが、3月22日のツインズとのオープン戦できっかけをつかんだ。

 投球前にスパイクで段差を削った。すると、足がこすれなくなり、軸足の不安が解消。体重移動が思い通りになり、投球フォームも安定した。この日も投球練習の直前に2、3回グリグリと入念に段差を削り、「自分仕様」に整えた。田中らしい創意工夫で、無四球で8三振を奪った。

 新ポスティング・システムで、7年総額1億5500万ドル(約161億円)という大型契約で移籍。メディアを含めた周囲は「ルーキー」とは見ていない。それは田中も分かっている。「悪い中でも粘って試合をつくって、勝ちに貢献できたのがうれしい。でも、1試合だけでは駄目。シーズンを通して続けていけるように準備したい」。戦うために海を渡った米国で世界一への旅が始まった。

 ≪デビュー戦勝利はダル以来9人目≫先発で大リーグデビューしたのは田中が13人目。勝利投手になったのは12年のレンジャーズ・ダルビッシュ以来、9人目となる。先発投手で初登板の無四球勝利は、08年4月4日のパドレス戦で7回を投げたドジャース・黒田(現ヤンキース)以来、2人目。デビュー戦で先頭打者本塁打を浴びたのは田中が初めて。救援では、07年4月2日のロイヤルズ戦でレッドソックス・岡島が初登板で初球を本塁打されている。

続きを表示

この記事のフォト

2014年4月6日のニュース