都小山台 夏への1安打…市川さんに「成長して、良い報告を」

[ 2014年3月22日 05:43 ]

<履正社・小山台>9回1死、代打・竹下が三塁へチーム初安打

 第86回選抜高校野球大会は21日、甲子園球場で開幕し、21世紀枠で初出場の都小山台(東京)は、第3試合で履正社(大阪)に0―11で大敗。都立勢として甲子園初白星はならなかった。打線は9回1死まで無安打に封じられたが、代打・竹下直輝外野手(2年)が三塁内野安打を放ち、意地を見せた。06年にエレベーター事故で他界した元部員の市川大輔(ひろすけ)さん(享年16)の遺族らも見守る中、精いっぱいのプレーを見せた。

【試合結果】

 まるでスポットライトのように西日が照らした三塁側の都小山台アルプス席。駆けつけた約4000人の応援団は、9回1死から代打・竹下が放ったマウンド後方への詰まった打球を、固唾(かたず)をのんで見守った。一塁は間一髪のタイミング。電光掲示板に安打を意味する「H」がともった瞬間、割れんばかりの歓声が湧いた。

 「みんな、この打席に立ちたかったと思う。思いを背負って、思い切り振り抜いた」と竹下。市川さんら関係者すべての思いをバットに乗せた。

 甲子園1勝の壁は、とてつもなく高かった。エース伊藤は最速137キロの直球とスライダーで8三振を奪いはした。しかし2回に満塁弾を浴びるなど、10四死球。本来の力を発揮することはできなかった。「ボールよりも前に気持ちをコントロールできなかった」。市川さんの遺影をバッグにしのばせて戦った福嶋正信監督は「もっと良い試合がしたかった。実力が足りなかった。応援してくださった方々に申し訳ない」と目をうるませて悔しさをあらわにした。

 06年に市川さんがエレベーター事故で亡くなった直後。部員らは毎日泣き明かし、行き場を失った。そんな時、市川さんの母・正子さん(62)は言った。「そんな顔しないでください。息子が悲しみます」。このひと言を胸にチームは再び立ち上がった。選手らはたびたびグラウンドに現れる赤とんぼを市川さんになぞらえ、移動用のポロシャツやカバンに赤とんぼの刺しゅうを施した。無念のまま旅立った先輩の思いを常に背負うためだった。練習で疲れ切っていても「限られた一日を有意義に」という市川さんの精神を胸に、睡魔をこらえて勉強に励んだ。そして、21世紀枠での甲子園出場をつかんだ。

 「負けてしまって市川さんに謝りたい。もう一度頑張って成長して、また良い報告をしたい」と伊藤は言った。聖地での1時間48分は、自分たちに何が足りないかを教えてくれた。「まだまだですね。先生、頑張って」。熱戦を終えた指揮官の目に、穏やかに笑う市川さんの姿が浮かんでいた。

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