なぜ?パナソニック専務から高校野球監督に 鍛治舎氏「生涯の夢」

[ 2014年3月21日 07:49 ]

秀岳館野球部監督に就任する鍛治舎氏は指導方針をまとめたファイルを手に思いを語る

甲子園名解説の鍛治舎氏 秀岳館監督に(1)

 アマチュア球界の名将が、長年の夢をかなえて新たな舞台にチャレンジする。元松下電器(現パナソニック)監督で、NHKの高校野球解説者としても知られた鍛治舎(かじしゃ)巧氏(62)が4月1日から秀岳館(熊本)野球部の監督に就任する。専務役員を務めるパナソニックを今月31日付で退社しての高校野球の監督への転身。なぜ、今なのか。心境を聞いた。

 還暦を過ぎても、人は何かに挑戦できる。それを実現させた。「生涯の夢だった」という念願の高校野球監督。「もうダメかなと諦めていたので、ワクワクしかしていない。本当に楽しみですね」。そう話す鍛治舎氏の目は輝いていた。

 転機は3年前の11年。かねて交流のあった秀岳館の中川静也理事長(83)から経験豊富な監督候補探しを依頼された。「なかなかなり手がいなくて、社業が暇になったら手伝いますよ、とは言っていたんです」。当初は自身が監督になるとは思いも寄らなかった。

 しかし、翌12年、事態は動く。パナソニックの新社長に自身より若い当時56歳の津賀一宏氏が就任。会社の体制が一新した。「老兵去るべしと思ってね。自ら身を引こうと」。13年8月に退社を申し入れ、同年秋に中川理事長へ「監督やってもいいですよ」と連絡を入れた。こうして62歳にして初めて高校野球の監督になることが決まった。

 鍛治舎氏は同社のブランドコミュニケーション本部長・宣伝担当を務めた後、専務役員待遇で企業スポーツ推進を担当。五輪関連や日本経団連スポーツ推進部会の取りまとめなど、大仕事を一手に担っていた。しかし、大企業の幹部という職を捨ててでも高校野球の監督になりたかった。

 「生涯の夢だった。それも甲子園にはるか遠い学校で、選手と泥だらけになって甲子園で優勝する夢を追いかけたいと思った。男のロマンですね。仕事も後に任せられる状態になったり、いろいろなタイミングがピタッと合った」。

 ◆鍛治舎 巧(かじしゃ・たくみ)1951年(昭26)5月2日、岐阜県生まれの62歳。県岐阜商3年時の69年センバツ準々決勝・比叡山戦で大会通算100号となる本塁打。早大では5季連続で打率3割を達成し日米大学選手権では代表の4番を務めた。松下電器入社後、2年目の75年ドラフトで阪神から2位指名を受けたが拒否。81年に引退。87年から91年まで同野球部監督。NHKの解説は85~92年、98~10年に務めた。

 ▽秀岳館 1923年(大12)創立。男女共学の私立校。普通科、商業科、建設工業科を持つ。野球部は甲子園春夏通算2度出場。01年夏は初戦の2回戦で常総学院に勝利も、3回戦で横浜に0―5で敗れた。03年春は初戦の花咲徳栄戦で延長13回の末に敗退。近年は昨年春、夏、秋と3季連続で熊本大会8強。サッカー部も強豪。所在地は熊本県八代市興国町1の5。

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