背番号史から垣間見える?米は「打つスポーツ」日本は「守りのスポーツ」

[ 2014年3月20日 05:30 ]

10日のオープン戦で巨人は全員が背番号14のユニホームを着用

 3月10日、三重県伊勢市の倉田山公園野球場で行われた巨人vs阪神のオープン戦は、「背番号」に注目が集まる一戦となった。伊勢は、プロ野球草創期に活躍した名投手・沢村栄治(元巨人)と西村幸生(元阪神)の出身地。そこで、OB二人をしのび、巨人の監督・コーチ、選手全員が沢村の背番号「14」を、阪神も全員が西村の背番号「19」のユニホーム姿で試合に臨んだのだ。

 今年は1934年のプロ野球誕生から80周年のメモリヤルイヤー。ところが、こと「背番号」に関してはもう少し歴史が古い。日本で初めて背番号が採用されたのは1931年。まず、この年の選抜高校野球で背番号が採用された。また、同年に行われた日米野球でも、全日本チーム(東京六大学リーグの選手とOBの合同チーム)が守備位置順の背番号を採用している。

 ちなみに、米国ではニューヨーク・ヤンキースとクリーブランド・インディアンズの2チームが1929年から背番号を採用。ヤンキースの3番打者だったベーブ・ルースは背番号「3」、4番打者のルー・ゲーリックが「4」という風に、打順がそのまま背番号になっていた。ベースボールは「打つスポーツ」だと捉えるアメリカでは打順で背番号を決め、野球は「守りのスポーツ」と捉えがちな日本では、守備位置で背番号を決めたところに、両国の文化の違いも表れていて非常に興味深い。

 また、巨人では背番号「14」をつけ、それが永久欠番となっている沢村だが、1934年の第2回日米野球では背番号「8」を背負い、米国の強打者たちに存在感を示している。当時の米国の選手たちにとっては、背番号「14」よりも背番号「8」が沢村栄治の代名詞だったかもしれない?。(『週刊野球太郎』編集部)

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