ジョーブ博士の功績は殿堂級!執刀数はのべ1万5000人以上

[ 2014年3月13日 07:44 ]

95年、巨人の桑田氏(右)に手術を行ったジョーブ博士

 訃報が飛び込んできた。フランク・ジョーブ博士がカリフォルニア州で死去。88歳だった。野球ファンなら一度はその名を聞いたことがあるジョーブ博士。彼が考案した、痛めた腱に他部位の腱を移植して修復する「トミー・ジョン手術」は、数多くの野球選手たちを救った。野球界に革命をもたらした名医・ジョーブ博士の生い立ちや、その功績を振り返ってみたい。

 ◎第二次世界大戦では看護兵の経験も
 ジョーブ博士は1925年7月16日、米国ノースカロライナ州で生まれた。高校卒業後は陸軍に入隊し、第二次世界大戦では看護兵として従軍。そこで出会った軍医に薫陶を受け、本格的に医学の道へと進む。終戦後は整形外科医となり、1964年には自身のクリニックを開業した。

 1968年にドジャースのチームドクターに就任。チームドクターになったジョーブ博士は、クリニックの診療後に連日、ドジャースタジアムに足を運んだ。成果につなげるように選手たちをつぶさに観察していたという。その後、MLBのほかNBA(バスケットボール)やNHL(アイスホッケー)、そして男子ゴルフのPGAツアーなどでもチーフドクターやアドバイザーを務めた。野球だけでなく他スポーツ選手も快く受け入れる姿勢は、米国のスポーツ医療界の発展に大きく貢献した。

◎執刀数はのべ1万5000人以上
 トミー・ジョン手術を受けたメンバーには、そうそうたる名前が並ぶ。現役投手では2011年に最多勝・最優秀防御率・最多奪三振のMLB投手三冠を達成したジャスティン・バーランダー(タイガース)、2009年全米ドラフト1位のスティーブン・ストラスバーグ(ナショナルズ)、昨季引退したヤンキースの守護神マリアノ・リベラ、49歳151日というメジャー最年長勝利記録をもつジェイミー・モイヤーなど、枚挙に暇がない。

 2010年には「メジャーでは9人に1人が、トミー・ジョン手術を受けている」というデータも発表された。執刀数は一般患者を含めると、のべ1万5000~6000件。年間750人を超えた年もあったそうだ。どれだけの人たちがジョーブ博士の恩恵を受けているか計り知れないものになっている。

◎医師として初めての殿堂入りを
 ご存じの通り、ジョーブ博士の執刀を受けた日本人選手も多い。考案した「トミー・ジョン手術」がなければ、多くの選手生命が断たれ、日本球界の歴史も大きく変わっていたかもしれない。

 1983年に手術を受けた村田兆治(元ロッテ)を筆頭に、荒木大輔(元ヤクルト)、桑田真澄(元巨人ほか)らの偉大な投手たちが、ジョーブ博士のおかげで現役を続けることができた。桑田の場合は手術前の10年で243試合に登板。手術後は日米合わせて実働11年で218試合に登板と、体にメスを入れた前後で、遜色のない働きをみせた。復帰登板時、桑田が東京ドームのマウンドの投手プレートに自らの右ヒジを置き、祈りを捧げたシーンはあまりにも有名だ。

 近年では2010年に田澤純一(レッドソックス)、2011年には松坂大輔(メッツ)がメスを入れた。昨年、手術を受けた藤川球児(カブス)や吉見一起(中日)は、今シーズンの復帰を目指している。

 日米野球界の医療に改革をもたらしたジョーブ博士。医師として初めて、野球殿堂入りを願う声もあがっているという。球界に多大な影響を与えた功績を讃え、是非とも殿堂入りを果たしてもらいたい。(『週刊野球太郎』編集部)

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