100メートル10秒83でも完敗…巨人ドラ1小林の強肩を体感

[ 2014年2月15日 08:30 ]

果敢に二盗を試みるスポニチ記者だったが…

 「日本一足が速い野球記者」を自認する巨人担当1年目のスポニチ記者が、巨人のドラフト1位・小林誠司捕手(24=日本生命)に盗塁対決を挑んだ。小林が捕手、阿部慎之助捕手(34)が投手、実松一成捕手(33)が一塁手を務める中、100メートル走の自己記録・10秒83のスポニチ記者が二盗を試みた。投手や一塁手との駆け引き、小林の強肩ぶりに圧倒され、走力だけでは語れない盗塁の奥深さを体感した。

 自信は木っ端みじんに打ち砕かれた。もう少しやれると思っていた。

 「僕から盗塁を奪う?本当ですか?」。盗塁対決を前に、遠投115メートルを誇る小林は余裕の表情を浮かべていた。一、二塁間の距離は約27・4メートル。普段は多忙によりほとんど走れていないものの、宮崎入りしてから3日間、練習した。衰えたとはいえ、6年前は100メートルを10秒83で走った脚力には自信があった。野球に関しては素人だが、上野広報にスライディングを教えてもらい、入念に練習した。

 捕手は小林、投手は阿部さん、一塁手は実松さんという豪華布陣。まず衝撃を受けたのは阿部さんのクイックの速さ。セットポジションで静止する間合いを毎回変え、足を上げずに瞬時に一塁方向へ振り向き、けん制を投げ込んでくる。けん制で一塁へ戻る練習を3度行ったが、2度も刺され「あまりリードすると戻れない…」という恐怖心を植え付けられた。

 そしていよいよ本番。一塁手の実松さんが「けん制あるよ!あるよ!」と声でけん制してきた。不安からリードを半歩縮める。阿部さんの左足がピクッと動いた瞬間、「けん制が来るかもしれない」という迷いが芽生え体重を左足に乗せてしまった。だが阿部さんは捕手・小林に投球。「やばい」。一瞬の判断の誤りが命取りだった。

 すぐに下を向いて低い姿勢でスタートを切った。狭い歩幅で速いピッチを刻み、一気に加速。スピードに乗り、顔を上げた瞬間、視界の左側から「白い弾丸」が飛び込んできた。スライディングを試みたが、時すでに遅し。二塁手がゆったりと下ろしたミットが、伸ばした右足に優しく触れた。

 盗塁は走力ではない。むしろ、短距離走が速いことなど、盗塁を成功させる要素の中で優先順位は低いのではないか?これが対決後、最初に思い浮かんだ感想だった。見守った川相ヘッドコーチが短距離走と盗塁の違いを説明してくれた。

 「短距離走はよーいどん!で一斉にスタートするけど、野球の盗塁は違う。さまざまなシチュエーションを考えなければいけない。投手のモーションを盗む、捕手のサインを見抜くなどいろいろな駆け引きがある。単純に走れば良いわけではない。今回のように絶対に盗塁する、という状況で成功するのは難しいよ」

 実際の試合になれば試合展開や点差、カウントなど刻々と状況は変化する。その中で走者は、投手や捕手の動きや癖を読み、スタートを切らなければならない。今回も実松さんの声によるプレッシャー、阿部さんの長い間合いに心を乱されて、スタートを切るまでの駆け引きで、すでに負けていた。走者が走りだすまでに、これほど多くの攻防を繰り広げていることに驚き、盗塁の奥深さを知った。

 小林の送球のスピード、正確さにも言葉を失った。盗塁の場面では何を考えているのか。捕球してから送球するまでの速さを意識していると思いきや、小林の意識は真逆だった。「捕ってから焦らないことを意識しています。まずはしっかり捕ること。送球はストライクを投げることしか考えていない」という。

 走者の位置や動きを把握する広い視野。そして捕球してからすぐに送球できる捕手としてのセンスを兼ね備えている。だから一つ一つの動作を確実に行うことに集中しているのだろう。1球限りの真剣勝負に敗れ「完敗です」と頭を下げて握手を交わした。小林は「青木さん、速かったですよ。思ったよりも動けるんだなあと思いました」と爽やかに慰めてくれた。

 長嶋終身名誉監督も阿部さんの後継者として認めたルーキーは、これからプロの世界で何人もの走者の盗塁を阻止していくはずだ。小林にプロ入り最初に盗塁を刺されたことを誇りにして、成長を見守っていきたい。そして、盗塁をめぐる「駆け引き」にも注目して取材に励み、野球の奥深さを伝えていきたい。

 ▼走塁のスペシャリスト スタートの速さから「ロケットスタート」の異名を持ち、早大時代の64年に100メートル10秒1の日本記録(当時)を樹立した飯島秀雄は、同年の東京、68年メキシコ五輪に出場。68年にはロッテから9位指名されて入団した。足に5000万円の保険をかけるなど走塁のスペシャリストとして話題を集めたが、3年間にわずか23盗塁でユニホームを脱いだ。

 また、人気漫画「巨人の星」では速水譲次が有名。メキシコ五輪候補だったが「金メダルで飯は食えない」と主人公の星飛雄馬らとともに巨人の入団テストを受験。100メートル走10秒5の俊足を生かすために左打席に立ち、足の速さを買われ補欠合格を果たした。67年途中から入団し、主に代走として活躍した。

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