小山台、都立初センバツ エレベーター事故で他界の先輩に届けた

[ 2014年1月25日 05:30 ]

21世紀枠でのセンバツ出場が決まり大喜びの都小山台ナイン

 第86回選抜高校野球大会(3月21日から12日間、甲子園)の出場校を決める選考委員会が24日、大阪市の毎日新聞大阪本社のオーバルホールで開かれた。21世紀枠で選出された都小山台(こやまだい=東京)は、都立勢初のセンバツ出場。ナインは同校野球部に所属していた06年に事故死した市川大輔(ひろすけ)さん(享年16)の思いを背負って聖地に臨む。また、甲子園で通算3度の優勝を誇る古豪・池田(徳島)は27年ぶりの出場となった。組み合わせ抽選会は3月14日に行われる。

【出場校】

 いつかこの日が来ると信じていた。午後3時過ぎ、約100人の報道陣が詰めかけた校長室の電話が鳴る。夢の甲子園切符の一報だ。その片隅で福嶋正信監督(58)は握り締めていた市川さんの写真に語りかけた。

 「大輔、お前を甲子園に連れて行けるぞ。一緒に行こう」――。市川さんがエレベーター事故で亡くなって7年半。当時2年生で唯一のレギュラーだった。しぶとい打撃と堅実な守備の二塁手。わずか16歳の若さで断たれてしまった甲子園という夢を、ついにかなえることができた。「大輔の事故の後、お母さん(正子さん)が“何か忘れ物をしたような感じ”と話されていた。それが甲子園です。だから何としても連れて行きたかった」

 都立校では初のセンバツ出場。都立の進学校というハンデを市川さんの魂を胸に克服してきた。練習は午後5時までの2時間だけ。校庭を使えるのは週3日で、それも他の部活と合同で半面しか使えない。外野ノックは週1回、抽選に並んで借りる多摩川グラウンドで。フリー打撃は今年1回しかない。だから短時間で能率良く、集中して練習する。そこには市川さんが日誌につづった言葉が生きている。

 「限られた1日という時間を(中略)有意義であるように過ごしてゆきたい」。最後に書いた日誌の一節だ。福嶋監督は選手たちにその日誌を読ませて「毎日の生活の中に野球はあるんだ」と語りかけ、午後5時以降は日本一長い自主練習として心を磨かせた。昨秋の都大会で堀越、早実、日大豊山と私立の強豪を連破し、ベスト8の原動力となったエース兼主将の伊藤は「エブリデイ・マイ・ラスト」(毎日が自分の最後の日)という言葉を大切にしている。これは、市川さんの生前のメールアドレスだ。「先輩の夢をかなえられてうれしい。でも、出場が目標じゃない。甲子園で勝つことが目標。力を合わせて強豪校を倒したい」

 甲子園には、市川さんが他界する日に買った金属バットと遺影を持って行く。思いは一つ。この日も午後5時に練習を終えた。毎日を精いっぱい生きた先に、都立校初の甲子園1勝が待っている。

 ≪過去の都立校の甲子園≫

 ◆都国立の甲子園VTR 80年夏に西東京大会1回戦から勝ち上がり、都立勢初の甲子園出場。1回戦では箕島(和歌山)と対戦。エース・市川は4回まで無失点の好投も中盤につかまり11安打5失点。打線は3安打に封じられた。

 ▼市川武史さん(80年夏に都国立のエースとして甲子園出場)都小山台のことは気にしていたので、選ばれて良かった。選手も監督もうれしいと思うので、それを試合にぶつけてほしい。自分たちは負けてしまって今でも悔いが残っている。都立勢はまだ甲子園で勝っていないので、その壁を破ってほしい。

 ◆都城東の甲子園VTR 99年夏は初戦の2回戦で智弁和歌山と対戦し5回まで1―1の接戦を演じたが、終盤に突き放された。01年夏は神埼(佐賀)相手に2回に先制しながら9残塁と決定打を欠き、逆転負けを喫した。

 ◆都雪谷の甲子園VTR 03年夏に出場し、1回戦でPL学園(大阪)と対戦。初回に3失点するなど、太田、内田、金子の3投手が踏ん張れず17安打13失点。打線は5安打に抑えられたが、6回に1点を返す意地を見せた。

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