星野監督 日本一晴れ「グッとこみ上げてくるものがあった」

[ 2013年11月25日 05:30 ]

優勝パレードを行う星野監督(左)と立花球団社長

 仙台の陽光に照らされた瞳は、潤んでいるように見えた。楽天・星野監督は立花陽三球団社長と先頭の白のオープンカーに乗り、両手を振り続けた。

 「“おめでとう”より“ありがとう”と言われた時にグッとこみ上げてくるものがあった。東北の皆さんが後押ししてくれたことに感謝したい」

 星野監督にとって、前回のパレードは阪神監督時代の03年11月3日。雨が降る大阪の御堂筋だった。あれから10年。午前9時ごろまでは小雨が降っていたが、同11時のパレード開始時は青空が広がった。出発前に「まさしく日本晴れ、日本一晴れ。お礼の笑顔を振りまくります!」とあいさつした。中日、阪神監督時代も優勝パレードの経験はあるが、4度目の日本シリーズで初の日本一達成。喜びは大きかった。

 11年に楽天監督に就任。昨季までの2年間は打ち込まれて降板する投手に対しても拍手を送る地元のファンに対し「優しすぎる」と苦言を呈した。嫌われるのを覚悟でだ。全ては選手、そしてチームを強くするため。今季はふがいない投球をした投手に対して、球場全体からブーイングが起きたこともあった。チームとファンが一体となって日本一となり、歓喜のパレードが実現。全ての苦労が報われたのだ。

 阪神監督時代の03年のパレード。その数日前、担当者から企画書を手渡されると「お年寄りや障害者用のスペースがないやないか」と指摘した。同年9月13日に最愛の母・敏子さんが死去(享年91)していた。当日、確保されたスペースでは亡き母親と同世代のファンが涙を流していた。その光景は今でも目に焼き付いている。現在も自身より年配の70、80代の星野ファンからファンレターが届くそうで「“私の生きている間に胴上げを見せて”という言葉もあった。そういう人たちにも選手は夢と元気を与えてくれた」と目を細めた。

 来季の目標は92年西武以来22年ぶりとなる日本一連覇。「頭の中の9割は来年のことを考えている。心配で心配でしようがないけど、もう一度パレードを経験したい」。まだまだ発展途上のチームを再び頂点まで導く。闘将と呼ばれる66歳の闘志は全く衰えていない。

 ≪星野監督と優勝パレード≫

 ★中日 99年11月2日、名古屋市中心部で開催。警備員3000人の他、上空からヘリコプター1機が監視する厳戒態勢が敷かれ、名古屋駅や繁華街・栄など約9・7キロをオープンカー16台で巡った。所要時間は約2時間で、沿道に集まった17万人のファンから「星野コール」が起こる熱狂ぶり。監督初優勝の88年は、昭和天皇の健康状態を考慮し中止。

 ★阪神 03年11月3日、大阪・御堂筋と神戸・三宮の2都市で敢行。激しい雨にもかかわらず、2都市で計65万人とプロ野球のパレードで過去最大の観衆が集まった。既に勇退を表明していた星野監督は、出発前に「きょうが最後のタテジマ姿です。しっかり見納めてください」とあいさつした。

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