根来元コミッショナー死去…04年球界再編、貫いた信念

[ 2013年11月9日 06:00 ]

死去した根来泰周氏

 プロ野球の第11代コミッショナーで、東京高検検事長などを務めた根来泰周(ねごろ・やすちか)氏が4日午前6時20分、肺がんのため、東京都渋谷区の病院で死去した。81歳だった。葬儀・告別式は近親者で行った。

 根来氏の業績は球界再編と切っても切れない。04年2月に就任すると、同6月に近鉄、オリックスが球団合併を発表。日本プロ野球選手会が反発し、同9月には史上初のストライキを招き、球史に残る混乱が起こった。

 根来氏は再編騒動の中で「権限は私にはない」と繰り返した。球界の内規にすぎない野球協約が、球団の親会社の経済活動や経営判断を縛ることはできないという法律家としての信念だった。当時の選手会やファンから強い批判を浴びたが、一方では野球協約の抜本的な改定、コミッショナー職の権限強化を実現すべく尽力した。

 自らの報酬の一部を充当し、元東京地検特捜部長の熊崎勝彦氏をコミッショナー顧問に招へいして遂行した暴力団排除やアジアシリーズの創設もまた根来氏の功績だ。

 清貧の人物だった。日本野球機構(NPB)のハイヤーは使わず、赤坂の自宅から地下鉄で通勤。新幹線は「グリーン車に乗っている人間が嫌い」と一般車両を利用した。阪神の大ファンで在任中も自宅に近い神宮球場の外野席に通った。NPBが席を用意しても、「金を払って見に行きたいんだ。人をわずらわせたくない」と自費観戦を貫いた。野球に対する愛情が常に根底にあった。

 球界再編当時のNPB事務局長だった長谷川一夫氏は「根来さんがあれだけ法律にのっとって処理すべきだと一生懸命やって参入したのが楽天。優勝して喜んでいるのでは」と話した。根来氏は楽天が初の日本一になった翌朝、静かに息を引き取った。

 ▼宮内義彦コミッショナー代行(オリックス球団オーナー)再編問題、暴力団排除活動、ドーピング検査の導入、アジアシリーズの創設など、プロ野球の健全化、発展に大変ご尽力いただきました。心からご冥福をお祈りいたします。

 ▼日本プロ野球選手会松原徹事務局長 04年の球界再編問題の際は真っ向からぶつかり合う形となった。互いに直接話し合いができる場がなかったことで根来さんの思いを理解する機会がなかったのは今も残念に思います。ご冥福をお祈りいたします。

 ◆根来 泰周(ねごろ・やすちか)1932年(昭7)7月31日、和歌山県和歌山市出身。京大法学部を経て、58年に検事任官後、札幌、神戸両地検検事、函館地検検事正、法務事務次官、東京高検検事長などを歴任。96年から02年まで公正取引委員会の委員長を務めた。04年2月にプロ野球第11代コミッショナー、07年1月に代行に就任した。生家が浄土真宗本願寺派の寺であるため、僧侶の資格も取得している。

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