星野に篠塚…お茶の間も驚いた「サプライズ1位指名」

[ 2013年10月24日 13:10 ]

1968年12月20日、中日入団が決まり小山武夫球団社長(左)、明大・島岡監督(中央)と握手する握手する星野仙一

2013年ドラフト

 ドラフト会議で最も盛り上がる瞬間、「第1回選択希望選手」。注目のあの選手は希望球団に入団できるのか? 重複した場合、どこがクジを引き当てるのか……悲喜こもごものドラマの宝庫と言っていいだろう。

 だが、過去にはこのドラフト1位指名で、会場もお茶の間もアッと驚くサプライズ指名が何度も起きている。その「サプライズ列伝」を振り返ってみたい。

 ◆1968年・・・阪神:田淵幸一/巨人:島野修/中日:星野仙一

 初めて会議の一部始終が報道陣に公開された1968年のドラフト。その報道陣の目の前で、いきなりサプライズ指名が生まれた。

 この年、田淵幸一、山本浩司(現・浩二)、富田勝の「法大三羽ガラス」や、明大のエース・星野仙一、箕島高の東尾修など、アマチュア球界の大物選手がズラリ揃っていた中で、"相思相愛"と言われていたのが「巨人―田淵」、「阪神―富田」という組み合わせだった。ところが、蓋をあけてみれば阪神は田淵を1位指名し、会場は騒然となる。そして「田淵を他の球団が指名したら、君を1位指名する」という巨人スカウトの言葉を信じていた星野仙一だったが、実際に巨人が1位指名したのは島野修(武相高)。「<星>と<島>の間違いではないのか?」という有名なセリフが生まれた瞬間であり、ここから打倒巨人の野球人生が始まった。

 ◆1975年・・・巨人:篠塚利夫(現・和典)

 銚子商では甲子園にも出場し、全国制覇も経験した篠塚。だが、「湿性肋膜炎」を患い、選手生命そのものが危ぶまれていたため、どの球団も敬遠気味だった。それだけに、巨人がドラフト1位指名をすると、会場全体から「エーッ?」という声があがった。

 ◆1985年・・・巨人:桑田真澄

 プロ野球ファンならずとも去就が注目されていたPL学園のKKコンビ、桑田真澄と清原和博だったが、ドラフト前日まで桑田は「早大進学」一本。一方の清原は子供の頃から巨人ファンで、「巨人入り」を熱望していたため、誰もが巨人は清原を指名するものだと思い込んでいた。

 ところが巨人は、桑田真澄を単独1位指名。司会を務めていたパンチョこと伊東一雄氏が「これでいいの?」と確認を取ってからようやくアナウンスしたという逸話があるほど、驚きの指名だった。

 ◆1986年・・・西武:森山良二

 西武がこの年1位に指名したのが、北九州市立大「中退」の森山良二投手。前年12月に学校をやめて北九州市の「ONOフーズ」という会社で働き、1年間野球をやっていなかったという変わり種だ。各チームの編成はもちろん、報道陣も「森山って誰だ?」と騒然となった。

 ◆1994年・・・ダイエー:城島健司

 甲子園出場経験はなかったものの、高校通算70本塁打を記録し、その名を轟かせていたのが、別府大付属高の捕手・城島健司だった。

 駒大への入学が内定し、プロ入り拒否を表明していた城島だったが、福岡ダイエーホークスがドラフト前日に強行1位指名を宣言。アマ球界との摩擦を恐れたコミッショナー事務局が警告したものの、ダイエーは宣言通り1位指名を敢行した。

 これには他球団のスカウトも、「進学が決まっているからうちは指名しなかったのに…」、「プロとアマが仲良くやっていこうという時に……」と恨み節を言うほどの騒ぎに。結局、プロ入りを選択した城島だったが、この件をきっかけに、プロ入り拒否の選手は指名できないというルールが作られた。

 近年でも日本ハムが、2011年ドラフトで巨人志望を表明していた菅野智之を、2012年ドラフトではMLB志望を表明していた大谷翔平を強行指名し、ドラフト会場が大いに沸き立った例がある。そこには指名される側だけでなく、指名する側の意地やこだわりも透けて見えてくる。2013年は、どんな人間ドラマが生まれるのだろうか。(『野球太郎』編集部)

 ▼野球太郎とは イマジニア株式会社ナックルボールスタジアムが発行する野球雑誌。ドラフト関連情報とディープな記事に定評がある野球愛好家のバイブルともいってよい存在になっている。スマートフォンマガジンとして「週刊野球太郎」も配信中。

続きを表示

「第91回(2019年)選抜高等学校野球大会」特集記事

「稲村亜美」特集記事

2013年10月24日のニュース