【野球のツボ】広島・前田智はなぜ天才と呼ばれたのか

[ 2013年10月3日 10:54 ]

今季限りでの現役引退を表明した広島・前田智

 シーズン終盤はプロ野球にとって、惜別の季節でもある。ヤクルト・宮本、阪神・桧山、中日・山崎…。今年も一時代を築いた多くの選手がユニホームを脱ぐ。個性的で、常にファンを熱狂させてきた彼らが表舞台を去るときが来たというのは、やはり寂しい。特に今年は広島・前田智徳外野手の引退が、私にとっては感慨深いものがある。広島でのコーチ1年目に入団してきたのが、前田智だった。

 その年のシーズン中の出来事だった。「2軍にいい新人がいる」というので、山本浩二監督(当時)が、1軍練習に前田智を呼んだ。熊本工出身、ドラフト4位の新人にとって、初めての1軍での腕試しの場だった。まずはノックから、というので、私がノッカーをつとめた。まあ、とにかく驚かされた。自分の前、あるいは後ろへの打球判断は一番難しいものだが、この新人は一歩の動きにもムダなく、しっかりとコース取りをして、打球を処理してみせた。高校を出て1年目というのが信じられなかった。

 走塁でも足が速く、ベースを回るポジショニングも完璧。もちろん、打撃でも、そのセンスをいきなり首脳陣に見せつけた。走攻守どれを取っても、コーチの教える部分が残っていない選手。それが前田智だった。

 いい選手というのは、これまでにもたくさん見てきた。だが、「これは凄い」とうなるしかない選手は限られる。私の野球人生では江川を初めて見たときの衝撃に、前田智の印象は匹敵している。

 長嶋茂雄さんやイチローも認めた前田智の天才ぶり。見ていて感じたのはバットのトップの位置が抜きんでて、しっかりしていることだ。いいバッターはトップがしっかりしているものだが、チェンジアップやフォークで揺さぶられると、どうしてもそれが崩れてくる。だが、前田智は崩れずに再びトップを作ることができた。これは凄い。いくら練習しても身につくものではない。持って生まれた才能と言うしかない。だからこそ前田智は天才打者なのだ。

 ケガさえなければ軽く3000本は打っていたはず。足を痛めてからは毎日、肌が見えないほど、テーピングで下半身を固定してプレーを続けていた。本人も「日本で一番テーピングを巻いたはず」と語っているという。お疲れさま、のメッセージを送りたい。

 そういえば、彼がまだ若手のころの話がある。東京から飛行機で広島に戻ったときに、事件があった。空港のタクシー乗り場は混雑していて、山本監督も「お先にどうぞ」と一般客に順番を譲っていた。そのとき、前田智ら4人の選手が素知らぬ顔で出迎えた知人のベンツに乗り込んでいった。私はこの後、球場のフロ場に4人を呼んで厳しく注意した。「監督が順番を譲っているときに、何を考えているんや。出迎えがあっても、監督が乗るまで待てないのか」。かなり厳しく叱ったはず。前田智は覚えているだろうか。
(前WBC日本代表コーチ)

 ◆高代 延博(たかしろ・のぶひろ)1954年5月27日生まれ、58歳。奈良県出身。智弁学園-法大-東芝-日本ハム-広島。引退後は広島、日本ハム、ロッテ、中日、韓国ハンファ、オリックスでコーチ。WBCでは09年、13年と2大会連続でコーチを務めた。

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